異国で見かけた看板から「忍びの道」へ
1988年、既に柔道三段だったフェルナンドさんは隣国アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに柔道の交流試合で訪れた際、偶然見かけた忍術道場の看板に誘われ立ち寄ったのがきっかけで「忍びの道」を歩み始めた。
「柔道などのスポーツ競技とは異なり、ルールや試合がないのが忍術です。実践であれば相手に怪我を負わせ、死に至らせることもありうるサバイバルな技を目の当たりにして『これだ!』と思いました」
3歳から柔道、空手、合気道など数々の日本の格闘技を経験してきたフェルナンドさんは忍術においても飲み込みが早かった。ブラジルに忍術道場はなかったため、ラテンアメリカを代表するブエノスアイレスの指導者が年に7、8回ほどサンパウロで行った出張セミナーに参加し、自らもブエノスアイレスに出向いては集中的に指導を受けたのだった。
また、当時は短期滞在であっても日本への入国ビザが取りにくかったため、忍術の盛んなヨーロッパの複数の道場に通い、スペイン・マラガの道場で指導者資格を備える5段を取得した。
「5段への昇段は本来、日本の本部道場で試験を受ける必要があったのですが、ブラジル人として日本訪問ビザが取りにくいことを日本の本部に説得し、ヨーロッパの師範から昇段試験を受けることを許可してもらえたのです」
日本の格闘技の師範になることは幼い頃からの夢だった。当初は複数のジムやスポーツクラブで場所を借りて、忍術の出張稽古を継続的に開き、一定の生徒数が確保できた2003年に「武神館服部半蔵道場」を開設したのだった。
2013年にブラジル人として初めて最高位を取得
念願の初訪日で初見氏に会えたのは3度目の申請でビザ申請が受理された2011年のことで、2013年には武神館本部道場で合計7カ月修行し、ブラジル人として初めて最高位の15段を初見宗家から授けられた。
現在は妻のロベルタさん(48)と共にサンパウロ市内で2カ所の道場を運営し、計50人ほどの門下生を指導している。