「夢を捨てる」必要はない

自分がどこまでできるかということに関しては、制限はいらない。(『大谷翔平 野球翔年Ⅰ 日本編2013-2018』文藝春秋)

子どもから大人になるにつれ、人は自分の限界を知り、より現実的な選択をするようになります。

それは「夢を捨てる」ことでもあるわけですが、大谷翔平は「安易に、自分はここまでしかできないのかなと、憶測だけで制限をかけてしまうのはムダなことだと思います」と言い切っています。

大谷が野球を始めたのは小学校2年生のときですが、以来、自信を持って「僕はプロ野球選手になるんだ」と言い続けていました。

カブスとの試合前、外野でキャッチボールをするドジャースの大谷翔平
写真=時事通信フォト
カブスとの試合前、外野でキャッチボールをするドジャースの大谷翔平(2024年4月5日)

信じれば、たいていのことは実現できる

プロ野球選手にはなれないんじゃないかと思ったことは、一度もなかったといいます。

桑原晃弥『圧倒的な力で世界を切り拓く 大谷翔平の言葉』(リベラル社)
桑原晃弥『圧倒的な力で世界を切り拓く 大谷翔平の言葉』(リベラル社)

高校時代には球速160キロの目標を掲げて見事に達成し、プロ野球入団時には二刀流での挑戦を明言しました。

また、プロ2年目にはベーブ・ルース以来の「2桁勝利、2桁本塁打」を達成し、4年目にはチームを日本一に導いてMVPも獲得しています。そして念願のメジャーリーグでも新人王やMVPを獲得しました。

「『どこまでできるか』に関しては自分から制限をかけることはしない。どこまででもできることがあると信じれば、たいていのことは実現できる」

大谷は本気でそう信じているのです。

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