「翔平はこんなもんじゃない。もう一度甲子園に連れて行くぞ」
野球は一人じゃ勝てない。全員が絡み合い、出塁も走塁も一つのプレーに何人かが協力する。(中略)そこに自分の力を加えたい。(『大谷翔平 挑戦』岩手日報社)
大谷翔平は2年生の夏と、3年生になる春に甲子園に出場しています。しかし、速い球を投げることはできても、勝てる投手にはなれませんでした。
夏の大会前に、左太もも裏の付け根付近の肉離れで故障。1回戦で帝京高校と対戦したときも、4回途中から登板して150キロを記録したものの、足の痛みから立ち投げのような状態になり、敗れています。
当初の肉離れの診断は「骨端線損傷」とわかり、安静が必要となりました。
花巻東校はエースが登板できない危機に陥りますが、チームメイトが「翔平はこんなもんじゃない。もう一度甲子園に連れて行くぞ」を合言葉に結束します。
その結果、秋の東北大会でベスト4に入り、春のセンバツの出場を勝ち取ったのです。
チームの力を結集して初めて勝てる
当時、大谷の名は全国に知られ始めており、多くのマスコミが大谷目当てに取材に押しかけました。
大谷はインタビューにチームメイトの名前を出しながら答えています。
そこには、「野球は一人では勝てない」「全員が一つのプレーに協力するものだ」という強い思いが込められていました。
大谷にとって、野球はチームの力を結集して初めて勝てるものなのです。