「小泉改革」が“インネパ”の増加に影響した?

しかしインド料理のコックの需要はあるわけで、そこにネパール人コックがうまく入り込んでいったのではなかったかと岡本さんは思い返す。

それまでもネパール人コックはインド料理レストランの戦力ではあったのだが、その数がさらに増えていった。そして2000年代前半のことだ。「インネパ」界にとって大きな出来事が起こる。杉並区・方南町ほうなんちょうなどでインドカレー店「家帝」(イエティと読む)、新大久保でネパール料理&食材店「ベトガト」を営むカドゥカ・ダディワルさん(57)が言う。

「小泉改革ですよ」

大久保駅そばにあるカドゥカさんの事務所で、僕は耳を疑った。小泉改革といえば「聖域なき構造改革」とも呼ばれ、かの小泉純一郎首相(当時)が行ったさまざまな経済政策だ。郵政民営化が大きな話題になったことは覚えている。それがなぜ、ネパール人に影響するのだろうか。

「規制が緩和されて、外国人でも会社がつくりやすくなったんです」

詳しくは後述するが、外国人だって独立して自前の店を持とうとした場合は会社が必要になる。そして会社を設立すれば「経営・管理」(当時は「投資・経営」)という在留資格が取得できる。だがこのための条件が、90年代は厳しかった。

規制緩和で小規模ビジネスのハードルが下がった

日本人を雇用することなど、外国人にとってはハードルが高かった。だからこそ従来は、パートナーの日本人が簡単に会社をつくれる国際結婚カップルか、資本に余裕のあるインド人が、インド料理界のメインストリームだったのかもしれない。それが小泉改革で変わった。カドゥカさんは言う。

「2002年ごろかな。外国人は『500万円以上の出資』があれば会社をつくれるようになったんです」

外国人でも小規模なビジネスの経営者になりやすくなったのだ。この制度をうまく活用したのが、ネパール人コックたちだった。500万円はもちろん大金だが、インド人や日本人の店で地道に働くうちにそれなりの貯えができたネパール人たちの間で会社を設立して「投資・経営」の在留資格を取得、独立起業する動きが広がっていく。コックの在留資格「技能」だけでなく、日本に住み、働くための「名目」が、いわばもうひとつ出現したのだ。

雇われのコックではなく自前の城を持ち、もっと稼ぎたいと思うネパール人たちがこれに飛びついた。この「小泉改革説」は、ほかにも何人かのネパール人から聞いた。

インドカレー
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