諸外国に合わせて「500万円以上の投資」という基準に

それを裏付けるべく知人の行政書士に官庁のデータベースを深堀りしてもらったところ、内閣府のとある資料が見つかった。

1982年に設立された、OTO(市場開放問題苦情処理体制)という窓口だ。その役割としては「輸入手続等を含む市場開放問題及び輸入の円滑化に関する具体的苦情を内外の企業等から受け付け(中略)改善措置を取ったり、誤解を解消し、日本の市場アクセスの改善を行うことを任務とする」とある。その頃、さかんに叫ばれた市場開放政策のひとつらしい。

保護貿易から転換し、外国に対しても自国の市場をオープンにしていくというもので、OTOではさまざまな意見を聞き、場合によっては法律などを是正していった。で、2000年に駐日韓国大使館からの提言を受ける形で、日本の「上陸審査基準」なるものが見直された。

それまで外国人が日本で法人をつくって「投資・経営」ビザを取得するには「2人以上の常勤職員」(日本に住居していて在留資格保持者は除くとあるので、日本人のことだろう)の雇用が必要だったのだが、韓国やアメリカの基準を参考に「500万円以上の投資で良し」と改められたのだ。小泉氏が首相に就任したのは2001年のことなので、だから「小泉改革のおかげ」というのはどうもネパール人たちがそう誤解したということのようだが、「小泉改革」も含めた大きな規制緩和や市場開放の流れの中で決まった制度だということは確かなようだ。

日本のビザ
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親族から資金をかき集め、来日するネパール人が増加

2人の日本人を正社員として雇用するのは外国人にとってかなりたいへんだが、500万円を用意するならなんとかなる……そう考えて起業にトライする外国人の小規模な会社が、21世紀に入ってから増えていったのだ。とくに積極的に動いたのがネパール人だった。

「500万円」はけっこうな額ではあるが、仮に5人でワリカンすれば1人100万円だ。家族親族みんなでかき集め、ネパールにいる人も中東やマレーシアで働いている人も力を合わせて出資した。そして代表者が「投資・経営」の在留資格を取って社長となり、あとは家族の中で調理経験のある者を呼び(インドをはじめ各国の飲食店で働いているネパール人は多い)、「技能」の在留資格を取ってコックとして雇う……。そんな一家がどんどん増えたのだ。

そして新しくやってきたコックも、いずれ「投資・経営」を取って、独立していく。このムーブメントが起きたのは2005年前後のことではないかと多くの在日ネパール人が言う。

またこの時期から、社長やコックだけでなく、それぞれの妻や子供も来日するようになる。「家族滞在」の在留資格によって日本で暮らすことができるからだ。そしてこの「家族滞在」の場合、許可を得れば週に28時間までアルバイトができる。家計の足しにとコンビニや総菜工場やベッドメイキングなどで働くネパール人女性が急増した。

カドゥカさんの説明では、家族を呼びよせるネパール人が増えたのは2008年ごろだという。

「それまでは単身のコックばかりで、寮に住んで働くって形だったんです。でも2008年くらいから家族も呼ぶようになりましたよね」