30年前から頭の中が変わっていない
川勝知事が「あとがき」を書くまでには、京大・矢野事件の「真実」はほぼ明らかになっていた。それなのに、どういうわけか、「セクハラ事件」を無視した上で、矢野氏の擁護に回ったのだ。
川勝知事は、当時の矢野氏の主張のみを頭から信じ込んで、セクハラ事件を認めなかった。
その根底には、男性優位の社会では「セクハラくらいは許される」という差別意識やエリート意識があったとしか思えない。
それから約30年がたつが、川勝知事の頭の中は昔のまま変わっていない。
だから、今回のようなジェンダーを巡る差別的な発言を繰り返すのだろう。
共同通信、中日新聞記者が「磐田は浜松より文化が高かった」の真意をただしたあと、日経新聞記者が「基本はやっぱり撤回したり、まずは謝るのが筋ではないか。不適切発言をしたら辞職すると公言したことで、なかなか謝れないのか」と疑問を投げ掛けた。
川勝知事は「いやそんなことはない」と答えたため、記者は「であれば撤回あるいは謝罪すべきだ。なぜそうしないのか」と突っ込んだ。
川勝知事は「誤解を与えているところは話せばわかる。この場でもそうなっている」などと逃げた。
結局、同じ回答の繰り返しとなり、記者が「今回の一連の発言は不適切ではなく、謝罪も撤回もしないのか」と確認すると、川勝知事は「そうですね」と締め括った。
「不適切発言」ということばが辞書にない
今回の知事会見は紛糾したが、毎回、変わらない風景がある。
それは、「富国有徳の美しい“ふじのくに”」が会見場の壁紙となっていることだ。その壁紙を見れば、著書『富国有徳論』が現在でも川勝知事の自信あふれる著作だとわかる。
つまり、30年前といまの川勝知事は全く変わらないのだろう。だから、いまさら知事の差別意識、エリート意識も変わるはずがない。
多分、今後も同じような不適切発言を繰り返すだろう。
「ああ言えばこう言う」川勝知事の辞書にはそもそも不適切発言ということばさえないのかもしれない。
それでも、若い記者たちがこぞって「追及」することで、川勝知事の時代錯誤の価値観がはっきりと県民にも見えてくるはずだ。