挨拶程度で終わるだろうと想像していた

昭和23年(1948年)、譲が「合資会社羊華堂」を設立して法人化した。昭和31年(1956年)、気管支喘息ぜんそくの持病をわずらっていた社長の譲が死去したため、経営を引き継いだ。

昭和33年(1958年)、「株式会社ヨーカ堂」に移行(後の株式会社伊藤ヨーカ堂)。スーパー経営に乗りだす。

昭和46年(1971年)、「イトーヨーカ堂」に社名変更し、利益重視の経営で業績を伸ばす。また、昭和48年(1973年)にコンビニエンスストアチェーンのセブン-イレブン・ジャパン、同年にレストランチェーンのデニーズジャパンも経営する。

平成8年(1996年)、イトーヨーカ堂取締役名誉会長に就任し、現在、セブン&アイ・ホールディングス名誉会長。

矢野は、伊藤名誉会長に面会できるといっても、挨拶あいさつ程度で終わるだろうと想像していた。

〈どうせ、「いらっしゃい。今日はなんの御用ですか。なるほど、わかりました。また、お返事申しあげます。今日は、ご苦労様です」とか、せいぜい5分くらいだろうな〉

「バカ野郎、お前は、こんなことも知らねえのか」

大企業のトップというものは、泰然自若たいぜんじじゃくとしていて、小さなことには目を向けないだろうと、矢野は考えていた。

だから、矢野は自分に言い聞かせた。

〈少ししか話はしていただけないけど。5分で話が終わり、出てくるけどいいよな。会えるだけで幸せじャ〉

ところが、5分で終わらなかった。

1時間の約束が1時間半になり、細かいことを次々と質問された。

それでいて、その間次々と社員に怒鳴どなり声で指示を飛ばす。社員と話が終わると「すぐ帰れ」という具合だった。

指を突き出して怒る男性
写真=iStock.com/kuppa_rock
社員に怒鳴り声で指示を飛ばす(※写真はイメージです)

矢野の目に映った伊藤名誉会長は、その辺の商人と一緒で、細かいことを言いつづけ、怒りつづけた。

「バカ野郎、お前は、こんなことも知らねえのか」

矢野も散々そう言われ、にっこり笑顔を見せてもらえたのは、一緒に写真を撮らせてもらうときだけだった。