とにかく速読・多読で論語を学んだ渋沢栄一
この「捗遣り」とは、「物事を早く進める」という意味です。わからないことがあっても、そこで立ち止まらず、わからないままでいいから、とりあえず「X」「Y」「Z」と置いて、そのまま進めていく、というやり方です。
この方法を幼い渋沢栄一に教えたのは、彼の従兄の尾高惇忠でした。
尾高は渋沢に当時一般の『論語』の学び方――師の読みをオウム返しにくり返す方法――を用いず、渋沢が面白いと思う『三国志演義』『水滸伝』『里見八犬伝』などをテキストにして、とにかく速読・多読を重視しました。
最初は意味のわからない単語がたくさん出てきますが、そこで立ち止まらず、「X」「Y」「Z」と置いて、わからないままでいいから読み進めるのです。
すると、同じ単語が何度も出てくるので、前後の文脈から次第にわからなかった部分の意味がつかめるようになっていきます。
やっていくうちに、なんとなく意味がわかるようになるので、立ち止まらずにとにかく、進んでいけばいい――。
幼い頃にこの考え方を身につけた渋沢は、明治の近代化においても、この方法で未知な近代資本主義に突き進んでいったのです。
借金はむしろ経済発展のために役立つ
時間を1867年(慶応3年)正月まで進めましょう。
このとき、渋沢栄一は15代将軍・徳川慶喜の実弟である民部大輔昭武の、パリ万国博覧会列席に随行します。
初めてのフランス・パリで、渋沢は4歳年上の銀行家フリュリ・エラールに出会い、彼から多くのことを学ぶことになります。
例えば、「株の売買」を渋沢は初めて経験しました。資産を現金のまま持っていても殖やせない、とエラールに教わった渋沢は、鉄道株を1万円ほど購入します。
その後、急遽帰国することになったので株を売却すると、なんと500円も儲かっていました。現代の貨幣価値に直しますと、およそ4億円となります。
株式会社にお金を出せば、出資者も儲かることを、渋沢は身を以て体験したのです。
また、「公債証書」の仕組みを学んだのも大きな収穫でした。
民間から国家が資本を借用して、公益のための事業を興し、その利益によって借金を返済するという仕組みです。
江戸期の日本では、借金は悪いものと決めつけられていただけに、渋沢は借金が、むしろ経済発展のために役立つ、と聞いて大いに驚きました。