専門家ではないのに「発掘権」を獲得できたワケ

社会人になってからコレクションを熱心に続けてきた菊川さんには、別の願望もあった。それは自分自身で現地での「発掘権」を得ることだ。理科大時代に遺跡発掘に隊員として参加したことはあったが、発掘権はエジプトの観光考古省と正式に契約しないと得られないのだ。

遠い夢であったが、ある日突然、風向きが変わった。

渋谷のエジプト美術館の隣にケバブ屋があって、そこの若いエジプト人のスタッフがある日、菊川さんに言った。「ザヒハワスという有名なエジプト考古学者が、あなたの美術館に入りたいというから開けてくれないか」。

ザヒハワスといえば、エジプト国内とエジプトに関心がある人ならば誰もが知る人物だ。こんなスゴイことはないと、菊川さんは快諾し、ザヒ氏を美術館へ案内した。

すると、「僕は埼玉で講演をするのだけれど、聞きに来ないか」とじきじきに言われ、仲良くなりたいという一心でディナーにも参加させてもらった。宴の最後に参加するだけでもよかった。寿司屋でのディナーは、在日大使なども含め10人ほどだった。みんなよく食べよく飲んだ。菊川さんは会の終わり頃に呼ばれて、全員分をご馳走したという。そういう展開になるだろうと思っていた。バカにならない出費だったが、それでよかったと感じている。作ろうと思ってもできない人間関係ができたからだ。

実際、その後、ザヒ氏から「ここを掘ってみれば」という連絡が入った。さっそく観光考古省へ申請するとたちまち調査の許可が下りて2019年から地中レーダー探査をおこなった。コロナで間が空いてしまったが、その結果をもとに発掘申請し許可がついに下り、初めて発掘したのは2022年の夏のことだ。

2022年、21年越しで古美術商から譲ってもらった一番気に入っているシャブディシャブティ
写真=本人提供
2022年、21年越しで古美術商から譲ってもらった一番気に入っているシャブティ
『エジプト人シヌヘ』(みずいろブックス)の翻訳の監修を手がける。3月中旬から下旬の発売予定
エジプト人シヌヘ』(みずいろブックス)の翻訳の監修を手がける。3月中旬から下旬の発売予定
イギリス時代、小学校6年生の時習った古代エジプト文明のノート
写真=本人提供
イギリス時代、小学校6年生の時習った古代エジプト文明のノート

日本人で掘っているチームは少ない。いい場所は、もちろんみんなが掘りたがる。件の食事会にいたエジプト人の旅行会社の人が動いてくれて、菊川隊長を含む古代エジプト美術館と駒澤大学の発掘チーム10人をエジプトまで導いてくれた。

現地で「クレーン2台買えるか?」と言われたが「それは無理です」と即答、移動と発掘物の運搬用のジープは買ったという。

こうしてザヒ氏との縁で発掘の現場に立った菊川さん。実は重要な遺跡であるメイドゥムピラミッドがあるその場所での発掘は100年ぶりのことだったそうだ。

「発掘は、歴史を調査し、過去の人間の営みを復元することです。エジプトをジャパンクオリティで調査したい。それができた。こんなに楽しいことは他になかった」

ただ、地中レーダーを使って約3m堀ったが、何も出なくてその穴をまた埋めたという。虚しかった。

しかし翌年3月、今度は早稲田大の先生と1カ月毎日通い発掘に行ったら、100点を超える土器を発掘することに成功した。そんな世紀の発見の瞬間、菊川さんは、熱中症で高熱が出て、ホテルで寝込んで倒れていたという。

「決定的な瞬間を逃しちゃいました」

季節は春だったが、エジプトの日中の気温は40度を軽く超える。朝早く現場に行き、13時には現場をあがるという。ホテルに戻ってからはデータの整理、写真の整理が待っている。もちろん出土したものは国に収めるのであり、個人の手に入るわけではないが、そんなことはどうでもよかった。世紀の瞬間に立ち会えないという手痛いミスを犯してしまったが、この発掘は、菊川さんにとって天にも昇るような気持ちだったと言う。

エジプト発掘とは菊川さんにとってどんな存在なのか。