沿線から格差が浮かび上がってくる

働く場所、暮らす場所。豊かさ、貧しさ。そこに地域の特性が加わり、東京圏の多様性というものが見てとれる。しかし、そこでは格差と不平等が顕在けんざい化し、覆い隠せないようになっているのは、もはや誰しもが感じていることだろう。その最たるものが「沿線」だ。

沿線ごとに人々の働き方や暮らし方が変わり、生活水準にも違いがあり、文化的諸活動にも違いがある。その違いを「多様性」と見るか、「分断」と見るか。これは、あなたの価値判断にゆだねるしかない。

しかし、均一性・平等性というものはまったくなく、東京圏は格差と不平等がそこかしこで見られるようになっていることは確かだ。それが「沿線格差」として表れるのは、多くの人が理解しあえる論点として共有することが可能だからだろう。それは、私鉄各社の企業戦略とも関係している。「沿線格差」はこれからもますます広がるばかりなのだ。

「何が価値観を決めるか」は難しい。生まれ育った環境が価値観を決めるという人もいれば、遺伝で価値観が決まると考える人もいる。「存在が意識を規定する」というのはカール・マルクスの考えであり、経済的な状況が社会的なこと、あるいは政治的なことを決定するということはよく知られた話である。

それぞれの沿線には価値観が反映されている

もちろん、この考えでは世の中のたいていのことは説明できるが、万能ではないというのもまた、一般によく知られているところである。では、沿線とは住民にとってどのような存在なのだろうか?

地域があってそこに鉄道が敷かれたケースと、鉄道が敷かれてそこに地域ができたケース、東京圏には2通りの地域形成パターンがある。しかしそのどちらでも、現在は「沿線」というものが地域をつくる軸となっている状況がある。

「沿線」でもっとも特徴的なのは、JR東日本の中央線沿線である。ほかの地域よりも経済的には豊かで、高円寺や阿佐ケ谷といったエリアでは「貧乏」を称していても生活文化自体はけっして貧しくはないという人たちが多くおり、「朝日新聞」の読者が多く、日本のほかの地域に比べて市民運動やリベラル・左派系政党への投票行動が盛んである。

中央・総武線
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中央線ほどわかりやすい特性を示すことはなくても、各沿線それぞれの特徴があり、その特徴が沿線住民の価値観に大きく影響を与えていることは、十分に考えられることである。たとえば教育だ。