セゾングループから誕生した無印良品は、シンプルなデザインを貫き日本で最も有名なノーブランド商品になった。「良品計画」の金井政明会長は「消費社会へのアンチテーゼがあった」と振り返る。その経営哲学を、『商業界』元編集長の笹井清範さんが聞いた――。
無印良品を運営する良品計画会長の金井政明氏
撮影=よねくらりょう
無印良品を運営する良品計画会長の金井政明氏

無印良品の会長と「日本商業の父」との出会い

――良品計画では、「日本商業の父」と呼ばれる倉本長治の教えを全社員で共有されているそうですが、そのきっかけを教えていただけますか。

10年ほど前のことですが、広島の製パン業「アンデルセン」の相談役、高木彬子さんのことが新聞に紹介されていました。夫とともに二人三脚でグループを引っ張ってきた彼女は、創業の精神を伝えようと私費を投じて寺子屋をつくりました。

その入所資格は「雑巾を1枚持参する」こと。なぜなら、雑巾は「床を磨き、心を磨き、人生を磨く道具」だからというお考えに共感し、その方に直接会いにうかがいました。

その足で同じ広島を拠点とされるイズミの山西泰明社長を訪ね、その話をしたところ、商業界創立者の倉本長治さんの話が出て、「当時の商人は倉本先生の講座を聞いて、すごく勇気をもらって立ち上がったんだ」と聞かされたわけです。私が倉本先生を強く意識したのはこのときでした。

「仕事がバケツリレーのごとく流れてしまう」という悩み

その一方で、当時の私には「会社の規模が大きくなると人が増え、いろんな部署ができた結果、社員の仕事がバケツリレーのごとく流れていってしまう」という経営者としての悩みがありました。

会社に人が少ないころは、数人でバケツ全体をA地点からB地点まで持っていくしか方法がありませんから、バケツリレーはあまり起きないのですが、会社が大きくなってくると、パーツごとに仕事が分断されていってしまう。

ならば、そのバケツリレーを何か一本の筋でつなげて、それぞれの仕事がクロスして分断されないチェーンのような構造にしていけばいい。

そのために必要な横串は、「商売の原点」や「お店の原点」といったことをみんなで共有することではないかと考えたわけです。そして私自身が倉本長治さんの残した文献を当たり、言葉を選び、『倉本長治先生語録10選』という小冊子をつくり、店長はじめ社員に配布したんです。選んだ語録は、「本来、無印良品はこうあるべきだろう」ということを端的に表したものばかりです。

――1980年に西友のプライベートブランドとして誕生した「無印良品」ですが、その生みの親であるセゾングループ創業者の堤清二さんも倉本長治の愛弟子の一人でした。倉本の死後に編纂された『倉本長治主幹追悼写真集』に、堤さんは追悼文を寄稿し、倉本を「昭和における石田梅岩」と評しています。