そこで、人生4度目の大勝負。ブロードバンドへの参入です。当時、日本のインターネットは先進国一遅く、世界一高かった。私の人生のテーマはデジタル情報革命なのだから、このままにするわけにはいきません。私は日本のインターネットを世界一速く、安くしてやろうと決めたのです。そして、本当にそれを実行しました。数年前、どこの駅前でも「Yahoo! BB」と書かれた赤い袋がタダで配られていたのは記憶に新しいのではないでしょうか。
アメリカの10倍で世界最高速なのに、NTTの8割引きで世界一安値。当然申し込みは殺到し、これを発表した日、一晩で100万件もの申し込みがありました。日本のインターネットが変わった、ブロードバンドの夜明けだったと思います。
でも、その後が大変でした。まず、申し込みに対して圧倒的に機材が足りない。NTTがなかなか回線をつないでくれない。そのせいで、お客様を何カ月も待たせてしまう。だから、総務省に乗り込んでいったこともありますよ。「NTTがこのまま回線をつないでくれないようなら、責任をとってここで焼身自殺してやる」ってね。私の気迫が伝わったのか、相当怖かったのか、担当者も最後には折れて、NTTにとりなしてくれましたよ。
そんないきさつもあって、その後はお客様に迷惑がかかるようなことはなくなりましたが、1年間はエンジニアたちと血を吐くような思いで働きました。4年間は毎年1000億円ずつ赤字を出しました。ITバブルがはじけた後に、よくやったものだと自分でも思います。でも、そのときの私は西郷隆盛の気持ちだった。「名もいらん。金もいらん。地位も名誉もいらない。そんな男が一番厄介だ。そんな厄介な男でないと、大事は成せない」というわけです。