19歳のときにマイクロコンピュータのチップをはじめて見たときの衝撃は、いまでも忘れません。やはり歩きながら読んでいた科学雑誌に載っていたのですが、人差し指の先に乗るくらい小さなチップが、まるで未来都市の設計図のように見えました。「人類はなんてすごい発明をしたんだろう」と涙があふれましたよ。その感動がきっかけで、勉強漬けだった私が1日5分だけ勉強以外のこと、つまり発明をすることにしたのです。
はじめはその発明でひと山当てて、「1年で1000万円くらい稼ぎたい」と思っていました。でも父は病気だし、自分は学生で金もない。そこで、「特許が売れたら言い値で報酬を払う」という契約で世界的に有名な大学教授を引き入れて、私の発明を形にするプロジェクトチームをつくりました。夢のようなところからはじまったプロジェクトでしたが、結果的には、iPhoneのはしりのような、世界初のポケットコンピュータと、コンピュータゲームのプロジェクトが当たった。1年半で3億円以上稼ぎ、無事教授たちにも支払いができました。
最初に「5回の大勝負をしてきた」と言いましたが、これは私が発明にこぎ出した19歳のときに決めたことです。「人生50年計画」を立てて、人生を5つのステージに分けたのです。まず20代で自分の事業を興す。30代で数千億円という軍資金をためる。40代でひと勝負して、50代でビジネスモデルを完成させる。そして60代で次の経営陣にバトンタッチする――。いまのところこの計画どおりに進んでいますし、私のビジョンは一切ブレていません。
いまでこそインターネットは普及し、ヤフーは順調。iPhoneは売れ、ソフトバンクの売り上げは2.7兆円になりました。結果的にはオーライですが、ずっと順調だったわけではありません。私の大勝負のおかげで会社には借金があるし、自分の体でさえ常に健康ではありませんでした。事業が軌道に乗った矢先、余命5年と言われたこともあります。
それでも私のビジョンがブレなかったのは、20代で事業を興す際、1年半かけて自分の登りたい山=人生のテーマについて深く悩んだからです。私は、人生のテーマを決めることで人生の半分が決まると思っています。自分が一生を通して情熱を傾けることができることは何なのか。他人がやっていないこと、新しいこと、人の役に立てること、儲かること、1番になれること――。