私にとってそれが、デジタル情報革命でした。世界中の人々の知識と知恵を共有できるようなネットワークを構築して、それをみんなが共有することで幸せになること。病気の人が助かるかもしれないし、仕事の生産性が上がるかもしれない、世界が平和になるかもしれない。これは、人生を賭けるのにふさわしい仕事です。人生の早い段階でそう納得したからこそ、これまで志高く生きてこられたのだと思っています。

そんな高い志で、ソフトバンクを興しました。といっても資本金は1000万円。クーラーもない狭い事務所で、社員はアルバイトが2人いるだけ。その社員でさえ「わが社は30年後、数の単位を1兆、2兆で数えるような規模になる」なんて演説をぶったせいか、1週間で辞めてしまいました(苦笑)。でも、私の心は変わりませんでした。

そこで、たったひとりで人生2度目の大勝負に出ました。資本金1000万円のうち800万円を使って、大阪のエレクトロニクスショーに出たのです。さらに200万円使ってカタログ代わりの雑誌をつくったら、持ち金はすっからかん。私は創業1カ月で資本金を使い果たしました。ここでお客さんが誰も来なかったら、そこで終わりという局面です。でも、20代で名乗りを上げると決めたのだから、それなりのことをしなくてはいけない。バカだと思われるかもしれませんが、自分では納得していました。幸いにもそのエレクトロニクスショーがきっかけで取引がはじまり、1カ月後には社員が15人になり、その翌月には100人になり、その翌月には200人になり……倍々ゲームで、1年間で年商30億円の会社に急成長しました。

ところが、その後すぐに肝臓を患って、3年半もの間、入退院を繰り返す生活に。事業が軌道に乗って、娘も生まれて、順風満帆というときにです。お客さんはいなくなるし、社員には去られるし、医者からも余命5年だと宣告されてしまったのです。まさにどん底で、さすがにこのときは病院のベッドで泣きましたね。でも、やっぱりここで坂本龍馬に立ち返ると、彼は33歳で暗殺されているんです。その最後の5年間で、龍馬がいかに活躍したか。それを思ったらふつふつとやる気がわいてきて、病気も乗り越えることができました。