ジャニー喜多川が一番愛していたのは自分
ジャニー喜多川が所属タレントの中で一番愛していたのは自分であったという自信と、捨てられた者の憤りが北公次のからだの中でうねっていた。
複雑な感情を今まで封印してきたが、半生を語るこの機会に、唾棄すべき思いが溢れ出てきたのだった。
私は北公次の決壊した感情の汚泥をすべて受け止める役目を担わされた。
恨みをベースに、思い出したくもない体験を吐き出す元アイドル。
被虐の記憶は、心のガードが決壊した北公次の全身からとめどなく溢れ出した。
北公次がまだデビュー前の、ジャニー喜多川社長に拾われたころの、ある秘めた出来事を語る。
それを私は『光GENJIへ』(データハウス)で、北公次の一人称に変換して記した。
墓場に入るまで黙っていようとしていた
「そこの部屋に寝泊まりするようになって2日もたつかたたないうちだっただろうか、ある出来事がおれの身にふりかかった。そしてその体験はそれ以後4年半にもわたりほぼ毎日続くのだった。
このことは今まで誰にも話したこともなければ、手記に書いたこともない、おれが墓場に入るまで黙っていようとしていたことだ。おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう。すべてをここで書き記すことがこの書の務めであるならば、あの事実を記すこともやはり避けて通ることはできない。
うすい布団に寝ているおれのもとへジャニー喜多川さんがそっとやってきておれの寝ている布団の中に入りこんできた。
『えっ?』
男同士が一緒の布団で寝るなんてことは寮生活でもなかったことだ。一瞬おれの頭のなかに“同性愛”という言葉が浮かんだ。だがまさか……。こんなハンサムな青年が……男と……。」