知ったかぶりで、軽薄で、おめでたい女
彼女のウヌボレも相当なものだ。
ある日、官房長官クラスの高官が来て清少納言におせじを言った。
「私は、たとえ目が縦につき、鼻が横についてもいいから、あいきょうがよくて、首すじがきれいで、声に魅力のある人が好きなんだ」
バーあたりで、あまり器量のよくない女の子をくどくときのあの「手」である。ははア、してみると、清少納言はお顔のほうはどうやら、おそまつだったらしい。
なんと見えすいたおせじ!
にもかかわらず、清少納言は有頂天だ。だいたい彼がこんなことを言うのには下心があったのだ。彼は中宮定子にとりいるために、清少納言に近づく必要があったからだ。それがわからないとは、なさけない。
知ったかぶりで、軽薄で、おめでたくて……まさに現代女性そのままの、清少納言! これが平安朝を代表する才女の実態なのか。
おしゃべりで、おっちょこちょいなサロン才女――これでは清少納言に敬意を表する必要はどこにもないではないか……私は長いことそう思っていた。
中流階級出身なのに中流階級に冷たい
たしかに「枕草子」の中には気のきいたことがいろいろ書いてあるが、それも単なる機知以外ではないと。さらに何となく気にさわるのは、彼女が受領階層の出身でありながら、その連中について、実に冷たい書き方をしていることだった。
彼女は清原元輔という中級官吏の娘である。清少納言の「清」の字は、すなわち、清原家の出身であることをしめしている。父の元輔は「百人一首」のなかに、
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ……
の歌を残している歌人だが、役人としては、あまりうだつがあがらず、67歳になって、やっと周防守(現在の山口県のあたりの地方長官)に任じられた。彼女は元輔の晩年の子で、少女時代、父に従って任地へ下ったらしい。
それ以後の人生経路は、はっきりしないが、同じくらいな階層の中流官吏橘則光と結婚し、何人かの子供を産んだあと、宮仕えの生活にはいり、とかくするうち何となく別れてしまったようだ。
こう見てくると、彼女は根っからの中流階層だ。にもかかわらず「枕草子」の中にこの階層の人間について書くとき、その筆は決して好意的ではない。
「センスがなくて、ことばづかいを知らなくて……」
とさんざんにけなしている。まるで宮仕え以来、彼女自身が上流貴族の仲間入りしてしまったかのようだ。