自慢をしっかりと記録に残すいやらしさ

そして、自分については、

「私は小さい時、兄が書物(もちろん漢文だ)を読むのをそばで聞きおぼえ、兄よりすらすら読んだので、父が男の子でなくて残念だ、と言ったものだ」

と自慢たらたらだ。しかも、

「その私でさえ一の字も書けないふりをし、びょうぶに書いた文字も読めないふりをしているのだ。中宮さまにも、人のいない時にそっとお教えするようにしているのに……」

なるほど、大変なごけんそんぶりだ。しかしけんそんというのは、だれにも言わないところに値打ちがある。こう言ってしまっては、むしろ清少納言よりもいやらしい。

このファイトのもやし方、どこか現代の女子学生に似てはいないだろうか。

「あの人、やたらに英語やフランス語を使うけどさ、書かせてみりゃあスペルなんてまちがいだらけよ。こっちはね、こうみえても、サルトルを原書で読んでるんですからね!」

大作「源氏物語」ではニクイまでの冷静な筆づかいをみせている紫式部だが、素顔はあまりにも「女性テキ」だ。

「道長さまが私に関心を持っている」

いじわるマダム紫式部の、もう一つの「女性的」特質はなかなかウヌボレが強いことだ。「紫式部日記」には、彼女と藤原道長との交流が書かれている。

道長――といえば当時のワンマン。平安貴族の黄金時代を築いた人で、式部の仕える中宮彰子の父である。彼女の一家は、この権力者にだいぶお世話になっている。彼女が彰子の家庭教師になったのも、道長のお声がかりによるものだった。

道長は、そのころ式部が書きはじめていた「源氏物語」にも大いに関心を持っていたらしい。が紫式部は、

「いやそれだけではない。道長さまは、じつは私自身へも関心をお持ちだった」

と日記の中に書いているのだ。

ある日のこと、中宮のところへやって来た道長が、「源氏物語」を見て、何やかや冗談をいったあとで、歌をよみかけた。

すきものと名にし立てれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ

「こんな物語を書くあなたは相当の浮気者だと評判だ。このぶんでは素通りする人はないのじゃないかね」