なぜ“黒船”を撃退できたのか

だが、彼らはパソコンに愛情を持っていた。そして、妙に真面目だった。だらしないところはあったが、根は真面目だから、反省はする。遅刻はするのだけれど、申し訳なさそうな顔になる。社会人としての常識はなく、人見知りな連中だったけれど、それでも穐田は彼らが好きだった。訳知り顔の外資系エリートより100倍マシだと思った。

何といっても、穐田もアキバオタクも世の中の現状を疑う点においては同志だったからだ。

2001年8月末、穐田がカカクコムに来てから1年が過ぎた頃、強大と思えたライバル、ディールタイム日本法人はサービスを中止し、その後、事業は清算された。

カカクコムはいつの間にかディールタイムに勝利していたのだった。

勝った原因は槙野の執念とチームの力だ。手入力と徹夜作業と気合とアキバオタクならではの細かいところまでの追求心がディールタイムを撃退したのだった。

ディールタイムのサイトにはパソコンの販売店、仕様、価格が載っていた。一見、カカクコムと同じだ。だが、カカクコムは仕様のディテールまで追求して載せていたのである。

徹底的にユーザー目線のサイトを目指す

パソコンの場合、型番が同じであっても、最後の文字が「W」だとしたら、白のパソコンで、「R」だったら赤のそれだったりする。ユーザーはそこまで追求する。モノを買おうとする人間にとって重要なのはディテールだ。細部までこだわって情報を載せたからこそ、オタクチームは勝つことができた。

すると、カカクコムの快進撃を見て、後発の同業者が出てきた。しかし、それもまたオタクチームは気合で倒した。ベンチャー企業の力とは結局のところ気合だ。頭のよさではない。今に至るもカカクコムを抜き去るような価格比較サイトは出てきていない。

2001年12月、穐田は社長になった。槙野は「早く仕事をやめて無職になりたい」と言ってきて、「すぐに仕事を引き継いでほしい」という。それで社長を受けたのだった。

次に穐田が指示したのはサイト上の商品を安い順に掲載することだった。それまで、最初の画面には商品の価格に関係なく、サイトへの広告出稿金額が高い店舗から順番に並んでいた。

穐田はそれを変えた。

難しいことではない。ソートをかけて並べ替えればいいだけの話だ。カカクコムの画面トップにはいちばん安い価格を付けている店舗が載るようになり、ユーザーは自分が欲しい情報を瞬時に見つけることができるようになった。