なぜ昭和の給食は毎日パンだったのか

今の子どもたちに「昔は毎日パン給食だったんだよ」と伝えると「うらやましい! いいなあ!」と言います。ところが実際に食べていた年代の人はそうは思いません。というのもパンの品質に現在とは大きな差があったからです。

今はスーパーマーケットで売っている大量生産のパンでも小麦の香りが立ち、柔らかくてとても美味しいです。パン屋さんブームも全国で起き、気軽に美味しいパンを買うことができるようになりました。

ところが昭和時代の給食パンは、味や香りが乏しく、パサついていて飲み込みづらく、単体で食べることが難しいものでした。たまにマーガリンが提供される日はラッキーで、少しずつ大切に使いながらなんとか食べきっていたものです。

どうして昭和の給食は毎日パンだったのかは、第3章でご紹介しますが、「GHQが小麦を援助した」「大型炊飯器を各校に設置する費用がなかった(パンなら工場で一気に焼ける)」「重量が軽いのでごはんよりも配送しやすい」などの理由が後押しとなったためです。

ごはんを主食とした給食は昭和51(1976)年に始まります。さらに平成21(2009)年に文部科学省が米飯給食の推進についての通知を出した結果、ごはんの比率が増え、「パンは週に1回」になったのです。平成25(2013)年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことも、米飯給食の推進を後押ししました。

ソフト麺は「うどん」ではない

昔懐かしの給食として思い浮かぶ献立のひとつがソフト麺です。正式には「ソフトスパゲッティ式めん」と言います。

昭和の学校給食
写真=時事通信フォト
昭和40年の学校給食。ソフトめんのカレーあんかけ、牛乳、甘酢あえ、くだもの(黄桃)、チーズ。(2013年3月、学校給食歴史館の展示サンプルを撮影)

一見うどんのようですが、うどんに使う粉は薄力粉や中力粉であるのに対し、ソフト麺では強力粉を使っています。学校給食用としてビタミンなどを添加してあるのも特徴です。

一度茹でた麺を、個別の袋に入れてパッキングし、それを冷蔵保存したものが学校に運ばれてきます。納品されたソフト麺は、学校で再度蒸し直します。75℃が1分以上保たれるように、中心温度計を使って4~5カ所を計測します。

2度も加熱を行ない、さらに2度目はしっかりと温度を上げて蒸しているので、麺は伸びに伸びて柔らかくなっています。この柔らかさこそ、ソフト麺の人気の源です。大人にはコシのない麺は好まれませんが、子どもたちにはこの柔らかさが食べやすいと人気になりました。

ソフト麺に合わせるものはトマトソース、カレーソース、みそラーメンスープ、醤油ラーメンスープ、けんちん汁、豚汁などがあります。組み合わせのレパートリーの豊富さもソフト麺の便利な点です。