ブッダの最期の言葉は「怠ることなく励め」
仏教は、今から2500年前の北インドにおいて、ブッダが説いた、苦を手放して明るく生きるための教えだ。
しかしブッダは、誰にでも同じように教えを説いたのではなく、出家者と在家者に分けて教えを説いた。
仕事も家庭も、全てを投げ出して出家したプロ修行者と、仕事や家庭に従事しながら生きている一般の人では、当然要求される修行レベルが違う。
ブッダは出家修行者に対しては、非常に厳しい教えを説いた。
ブッダ晩年の様子、臨終の様子を克明に記した涅槃経と呼ばれるお経があるが、その涅槃経の中に、ブッダが弟子に向けて残した最期の言葉が登場する。
ブッダ最期の言葉とは、「怠ることなく励め」であった。
そう、仏教とは、超人的な神や仏に縋って生きる教えではなく、「たゆまぬ自己研鑽によって苦を手放し、明るく生きよ」と説く、努力の教えだ。
ブッダは、弟子たちに、①何を努力すべきか②どう努力すべきかを具体的に示している。
下手なことはやめ、上手なことをさらに伸ばす
ブッダが示した、努力の方向性と、具体的な方法は、次の4つだ。
1、今やっている、これまでやってきた「悪しきことをやめる」努力
2、これから先さまざまな誘惑があっても「悪しきことはしない」努力
3、今持っている、成している「善きことをさらに伸ばす」努力
4、今までやったことのない「善きことに挑戦していく」努力
2、これから先さまざまな誘惑があっても「悪しきことはしない」努力
3、今持っている、成している「善きことをさらに伸ばす」努力
4、今までやったことのない「善きことに挑戦していく」努力
個々の解説に入る前に、一つ定義しておきたいことがある。それは、善悪の定義だ。
善悪というと、私たちはすぐに道徳的なことを思い浮かべる。けれども、ここでよくある質問は、善悪と言っても、人によって何を善とするか悪とするかは違うけれども、それをどう捉えるのかというものだ。
確かにブッダの教えに登場する善悪には、道徳的な意味がある。しかしながら、仏教が説く善悪には、「善=巧みであること」「悪=下手であること」という意味があるのだ。
この善悪の定義を押さえた上で、1〜4の個々の解説に入りたい。