『和泉式部日記』に描かれた大恋愛
右に紹介したのは、実は、『和泉式部日記』の序盤の展開に他ならない。『和泉式部日記』は、ときに『和泉式部物語』とも呼ばれるように、われわれが一般に「日記」という言葉から思い浮かべるような日々の記録であるよりは、むしろ、和泉式部を女君とする恋愛物語である。とはいえ、同書の描き出す恋愛は、けっして、架空のものなどではない。それは、和泉式部が二十歳代の半ばに実際に体験した大恋愛なのである。
なお、和泉式部というと、恋多き女として知られる女性であるが、そんな彼女も、二十歳ほどまでに橘道貞という中級貴族と結婚すると、しばらくは、普通に中級貴族家の奥方に収まっていた。
また、この結婚と前後して、道貞は、和泉国の受領国司である和泉守を拝命しているから、道貞・和泉式部の家庭生活は、かなり豊かなものであったに違いない。やがて「小式部」として知られることになる娘が誕生したのも、この頃のこととなる。
身分違いの恋が不評を買うことも
しかし、不意に冷泉天皇第三皇子の為尊親王に見初められた和泉式部は、安泰な家庭生活を棄てて、皇子との恋愛にのめり込んでしまう。もちろん、それは、身分違いの恋であり、『栄花物語』に語られるように、和泉式部は、為尊親王ともども、世の不評を買うことになる。
彼女の父親の大江雅致などは、聟の道貞を気に入っていたこともあって、娘に勘当を言い渡しさえしたという。が、和泉式部が為尊親王との恋を諦めることはなかった。
そんな和泉式部から為尊親王を奪ったのは、親王の突然の死であった。彼は、長保四年(一〇〇二)の夏、おそらくは悪性の腫瘍のために、二十六歳の若さで世を去ったのである。そして、それから一年と経たずしてはじまった和泉式部の新しい恋の相手は、為尊親王の弟宮であった。
やがて『和泉式部日記』(『和泉式部物語』)として後世に伝えられることになる恋愛物語の男君は、冷泉天皇第四皇子の敦道親王に他ならない。