※本稿は、繁田信一『源氏物語のリアル』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
『源氏物語』に描かれた光源氏の恋愛術
光源氏の恋愛をめぐっては、相手の女性を想い初めてから、その女性と男女の関係になるまでが、包み隠さず語られることは、かなりめずらしい。藤壺中宮との大恋愛でさえ、いつの間にか初めての逢瀬が持たれていたのであり、六条御息所との恋愛などは、詳しく描かれはじめたときには、既に倦怠期に入っていたのである。
とすれば、光源氏には実に皮肉なこととなるだろうが、彼が意中の女性をものにする手口を知るうえでは、末摘花との恋愛こそが、貴重な事例となるかもしれない。
当時十八歳の光源氏が末摘花に想いを寄せはじめたのは、末摘花の姪で光源氏には乳母子となる大輔命婦という女性の仲立ちがあってのことであった。とはいえ、大輔命婦としては、既に亡き常陸宮が生前にたいそうかわいがっていた末娘について、今は琴だけを友として寂しく暮らしているということを、ただの世間話として光源氏の耳に入れたに過ぎない。
が、光源氏は、この話に喰い付く。常陸宮は、物語の中で「常陸の親王」とも呼ばれるように、いずれかの天皇の皇子であり、その娘となれば、もちろん、皇孫女である。そんな高貴な女性が、わずかに琴のみを慰めに、ひっそりと暮らしているなどというのは、その折、新しい恋を求めていた光源氏には、まさに、琴線に触れる話であった。
恋文を送り続けるが、返事がない
こうして懸想をはじめた光源氏は、当時の習慣に従って、まずは恋文を送り、その後も恋文を送り続ける。が、これに末摘花が応えることはなかった。光源氏が末摘花を想い初めて恋文を送りはじめたのは、春のことであったが、それから半年後の秋になっても、光源氏は、ただの一度も、末摘花から返事をもらうことができなかったのである。
すると、痺れを切らした光源氏は、ある晩、末摘花の家に押しかける。もちろん、それは、王朝時代の恋愛の作法に反することであり、それどころか、当時の社会常識にも反することであった。が、末摘花には、この強引な訪問を拒否することができない。なぜなら、押しかけてきたのが、皇子という尊貴な存在だったからである。皇孫女の末摘花でさえ、相手が皇子とあっては、もはや、この強引な訪問者を丁重に迎えるしかなかった。