「逃げない」選択の先にあるもの
人は強者と向き合ったとき、どうするか。
田口は「逃げない」を選択した。試合へ向けた準備段階でトレーナーと一つの取り決めをつくった。
「相手の実力を遥か上に設定しよう」
そうすれば本番で慌てることはない。日々の練習ではおのずと集中力が増した。少しでも気を抜けば、井上のパンチが飛んでくる。そんな緊張感がある。
試合は10ラウンドを闘い抜き、判定負け。日本王座を失った。
しかし、田口は井上と闘ったことで道が拓かれた。この試合で、誰もが田口の成長を感じた。10ラウンドのうち、2~3ラウンドはポイントを取った。ファンから喝采を浴び、自身の内面でも変化が生じた。
「誰と対戦しても、井上君より強い相手はいないだろう、と思えるようになった。自信というか、井上君との闘いが後ろ盾になったんです。あれからは誰と闘っても気持ち的には楽でした」
敗北が育てた名チャンピオン
井上戦以降、試合でピンチに陥れば、セコンドが檄を飛ばす。
「井上より強くないだろ? あのときみたいに闘えばいけるから」
そう言われると、田口のギアが上がった。「怪物」と闘い切ったことが自信となっていた。
その後、田口は世界王者となり、7度防衛、2団体の王座を統一した名チャンピオンになった。
振り返れば、大きな財産は井上戦に向けた練習だった。集中力と向上心、日々やり切ること。井上戦に向けた準備段階で多くのことを学んだ。
「僕は彼と闘ったからこそ、運が巡ってきたと思っています。彼がいなかったら、たぶん世界チャンピオンになれなかった」