唯一ダウンしなかった男

絶望から這い上がり、倒された相手に向かっていった。そのとき、遠回りと思われた道が、実は近道だった。どんな相手と対峙しようとも恐怖心を抱くことはなくなり、一戦一戦強くなっていった。

敗者の人生をも光を当て、輝かせる。それが本物のチャンピオンなのだろう。井上が試合をするたび、現在トレーナーを務める田口の評価が自然に上がっていくという。

「あの井上とよく判定までいったな、一度もダウンしなかったなんて凄いと言われる。みんなから一目置かれるんです」

田口は、井上の25戦で唯一ダウンをせず、フルラウンド闘い抜いたボクサーなのだ。

ボクサーのシルエット
写真=iStock.com/silverkblack
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最強の相手と闘うほど燃えることはない

もう一人、井上に敗れたものの、充実感を得たボクサーがいる。

2016年8月31日、河野公平はルイス・コンセプシオン戦で終盤の追い上げも実らず、世界王座から陥落した。どこか煮え切らない、不完全燃焼な試合だった。

デビューから約16年で42戦を重ねた35歳。試合から2カ月経っても体を動かす気が起きず、頭の中では「引退」の二文字が大部分を占めていた。そんなとき、フィリピンの世界王者、香港の人気世界ランカー、防衛戦の相手が決まらない井上、3つのオファーが舞い込んできた。

河野は周囲の反対を押し切り、最も手強い井上を選択した。

「井上君とやるぞと思ったら、もう一度気持ちが盛り上がってきた。みんなが逃げている。そんな強い相手、最強の相手と闘える。これほど燃えることはない」