巻き起こった「佐野コール」

佐野は「可能性がある限り、闘い抜く」を貫いた。

立ち上がり、前へ出る。血を流しながら、打たれても打たれても向かっていった。

採点の上では一方的。しかし、佐野の負けん気が会場の雰囲気を変え、井上を見に来ていた観客から「佐野コール」が湧き起こる。佐野は果敢に拳を突き出し、会場を沸かせた。最終10ラウンド。1分9秒。レフェリーに止められ、TKOで敗れた。

一夜明けると、予期せぬことが起こった。ジムの電話が鳴り、これまで1日2、3件しかコメントが来なかったブログには120件以上ものメッセージが書き込まれた。佐野の粘り、頑張りに胸を打たれた観客やテレビの視聴者から称賛の声が届いたのだ。

佐野が言う。

「何が嬉しかったかというと、試合を見て『感動しました』『泣きながら試合を見ました』『勇気をいただきました』と書き込みがあったり、ファンレターが届いたことです」

結果は敗戦だった。だが、観ている者の心に佐野の勇姿はしっかりと刻まれたのだ。

命を懸けた28分9秒

「強くて凄いボクサーはたくさんいる。でも感動させられるボクサーはなかなかいない。僕は王者にはなれなかったけど、それができただけでもよかったなと思うんです」

佐野は井上戦で深いダメージを負い、その後1試合を行い、引退した。

「井上と闘ったことを後悔しているか?」。この問いに佐野は首を振った。

「相手が井上君だったから、僕は命懸けで向かっていけた。今でも『よく井上尚弥とあれだけの試合をしたね』と言われます。『闘ってくれて本当にありがとうございました』と言いたいです」

井上と対峙した28分9秒を誇りに、トレーナーとして後進を育てている。