野球エリートが海を渡る大きな理由

実は、佐々木ほどの有名選手ではないが、10代後半の球児の間で、日本の大学に進まず、アメリカの大学に進む選手がじわじわと増えているのだ。

このコラムでも紹介した、野球指導者・根鈴雄次氏の道場には「アメリカの大学に留学して野球がしたい」という若者がしばしば訪ねてくる。中には名門高校で甲子園に出場したような選手もいる。

「厳しい環境で自分を鍛えて、メジャーを目指したい」ということだが、それだけではない。

日本で野球をするとすれば、大学、社会人とルートは決まっている。プロに行けなくても、そこそこの実績があれば、アマチュア球界の指導者になることもできる。社会人で野球を引退すれば、大企業のサラリーマンになることもできる。

安定ということなら、日本で野球を続けるに限るのだ。

しかし、既存の日本球界のネットワーク、人脈の中で生きることは「それが自分の限界」になることを意味している。

例えば野球をやめて事業を起こしたり、新たな分野に挑戦したいと思っても、大学でも「野球しかしていない」から、学びなおしをしなければならない。

元プロ野球選手でも、球団を退団してから資格を取るために勉強したり、店を開業したり「一から出直し」をして苦労する人がたくさんいる。こういう人が必ず言うのは「引退するまで野球しかしてこなかったから」という言葉だ。

元プロ野球選手など、引退するまで「自分で新幹線や飛行機のチケットを取ったこともなく、ホテルも予約したことがない」人がいるくらいだ。

東京メトロの券売機
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「野球しか知らない人」になりたくない

日本のスポーツ界は「何事でも一つの道に通じれば、どんなことにでも通用する」という信仰がある。指導者の言うことを聞いて厳しい練習に耐えることで「根性」ができ、一流の人間になれると。

しかし、世の中は「根性さえあれば通用する」ような単純なものではなくなっている。国際化、DXの進展などで、目まぐるしい変革が進む中「自分の意志で学び、自己変革できる」人材でなければ一流にはなれない。

実は日本でも、スポーツしか知らない人材ではなく、もっと知的で多様な可能性のあるアスリートを育てるための改革が起こっている。

日本版NCAAと言われるUNIVAS(大学スポーツ協会)は「運動部学生のために学業面と安全安心な競技環境面での支援を充実させる」とし、スポーツ学生が一般学生同様、学業を重視することを求めている。

先日、筆者は法政大学野球部助監督の大島公一氏に話を聞いたが、UNIVASに加盟している法政大学野球部の選手は「リーグ戦のある日でも、講義を受講してから試合に出ている」とのことだ。

筆者が大学生のころの体育会系の選手は「寮とグラウンドの往復で、試験の時以外は教室に行ったことがない」のが常だったことを考えると、今昔の感があるが、それでもUNIVASに入っていない大学の中には旧態依然としたままの大学も多い。また「学びの質」がそれほど高いとは言えない。