少なくとも「よける」ことはできる

生きていると、思いもよらぬタイミングで、さまざまなトラブルが身に降りかかってきます。もしくは感じることがあります。良い関係だと思っていた相手の態度が、急に変わってしまうようなこともあるものです。けれども、常に距離感を保つ、自分を見失わない、ということを心がけていれば、少なくとも「よける」ことができるのです。

もう一度言います。さみしいからといって、ひとに好かれようと努めてはいけません。それよりも、まずはひととしてたいせつなことをたいせつに生きる。一人でいられる自分であることが大事なのです。

女性が空を飛ぶイメージ
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人に大きな期待をしない

人間関係の話を、さらに続けましょう。

僕は、どんなに仲良しだとしても、そのひとに対して「大きな期待」をしないということを、いつも心がけるようにしています。

そもそも「期待」って、とってもわがままな感情だと思いませんか。

勝手に、そのひとのことを持ち上げて、このひとなら、自分の望み通りに動いてくれるはずだ、それどころか、自分が望んでいた以上のパフォーマンスをしてくれるはずだ、と思い込んではいないでしょうか。そういうことは、とてもおこがましいことだと僕は思うのです。「おこがましい」というのは、自分勝手だ、と言い換えることができるかもしれません。

あなたは、僕が「大きな期待をしない」などというと、なんだかすごく冷たい印象を抱くかもしれません。

でも、僕は、自分が冷たい人間などとは思っていません。むしろその逆です。「大きな期待をしない」という気持ちにたどり着いたのは、人間関係のストレスの多くは「期待」が原因であり、その期待とは、あまりにも一方的だと気づいたからです。

誰でも、悪気がなくても失敗することはあります。僕だって、なんとか自分なりによりよい生き方をしていこう、心地よい生き方をしたい、とは、いつも思っています。

でも、どう考えても、僕自身、完璧な人間ではないし、そもそも完璧な人間など、どこにもいるはずがありません。「誰もがみな、不完全である」ということを、前提にしておかないと、いけないのです。

それを前提に考えてみると、相手に対して「期待」の気持ちを持とう、だなんて、あまりに勝手すぎると思ってしまうのです。そう思いませんか? みんな、まじめに生きているとはいえ、他人の期待に応えるために生きているわけでもありませんし、どうしてもできないこと、失敗してしまうことは、いっぱいあるはず。そんなつもりはなくても他人に迷惑をかけてしまうことも、たくさんあります。「ひとは不完全である」という、その前提を、僕は忘れないようにしたいのです。