鎖国体制がロシアを好き放題させてしまった

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、相変わらず、豊臣秀吉の朝鮮出兵を愚劣の極みとして描いているが、明国が朝貢貿易にしか応じない体制に固執し、間隙かんげきを縫って西洋諸国が東シナ海の貿易まで独占する状況のなかで、日本が新秩序を求めて行動を起こしたこと自体は間違っていなかった。

開戦後、2カ月で漢城を陥落させるなど快進撃に酔って、秀吉が明国征服とか夢見た時期もあるが、秀吉も現実の交渉でそんな夢物語を言っていたわけでない。

どういう形にせよ、江戸時代の日本人が大陸や人や物の交流を盛んにし、西洋諸国との交流も維持していたら、ロシアの北方進出の動きも的確に把握できただろうし、寒冷地での生活や経済開発のノウハウも得られたはずである。18世紀後半までなにもせず、ロシアがオホーツク海地域で好き放題して取りかえしがつかないようなことにはならなかった。

鎖国は「日本を守った素晴らしい外交政策」?

昨年、北海道在住の中村恵子さんという方が『江戸幕府の北方防衛 いかにして武士は「日本の領土」を守ってきたのか』(ハート出版)という本を書かれて話題になった。北方防衛のために松前藩や幕府の武士たちがいかに立派な仕事をしたかということが、この本の中心的なテーマになっている。

たまたま、中村さんの講演を聴く機会があり、そのあと共通の友人である久野潤・日本経済大学准教授らと打ち上げで議論した。そこで、私は、中村さんが紹介される人々の頑張りを顕彰することには異議はないが、そもそも、北海道の近くまでロシアが進出するのを許したのは、鎖国をはじめとする江戸幕府の内向きの外交政策の結果であり、中村さんが本の冒頭で鎖国について「素晴らしい外交政策で日本を守った」と評価するのは間違っていると申し上げた。

そもそも、鎖国とは、ポルトガルとイエズス会によるキリスト教が日本人を魅了しかねないという理由で、日本人の渡航も外国人の来日も禁止して、オランダ人に小規模な貿易独占利益と引き換えに他国の干渉を排除する手伝いをさせ、社会秩序を乱すから新知識は入って来なくても良いという政策だ。