国や自治体からの補助金を受けない理由
――何がよかったのですか。
【博志会長】売り上げが大きく伸びたのです。特に輸出額が伸びた。20年度に35億円だった輸出は、21年には60億円に倍増。22年も71億円で推移したのは大きかった。コロナ禍で中国の富裕層が、家飲み用に獺祭を選んだのは感動的でした。
――旭酒造は、日本酒の海外展開で交付される国や県からの補助金を受けていません。
【博志会長】事業は自立してやるものなのです。官の金を使うと、かえって高くついてしまう。官は回収に来るから。天下りなどを受けたらマイナスは大きい。自立して自力でやり抜いていけば、今回もそうですけど、どこかに良いことはあって、活路は開けるのです。
戦後の産業史を紐解くと、官を頼らなかった自動車は大きく成長しました。本田宗一郎さんは当時の通産省(現経産省)と対立して自動車に参入し、ホンダは世界企業になっていった。
設備投資という点で私が参考にしているのは、経営難だったアサヒビールが1987年に「スーパードライ」を発売した直後に断行した、スピード感のある連続的で大規模な設備投資でした。
当時の樋口(廣太郎)社長の即断力、大胆さは、すごく勉強になってます。設備投資は、タイミングが大切で、伸びるときにやらないと意味はない。なので、今回のアメリカ進出では、投資額は膨らみましたが大胆に断行しました。チャンスは、いつもあるわけじゃない。
「勝ちっぱなしではうまくいかない」
――確かに、勝負の時はあります。アサヒは設備投資で流れが変わり、負け組を脱していった。
【博志会長】私どもは、日本酒業界で最も多く失敗を重ねてきました。負けてばかり。99年には地ビールに進出するも失敗し約2億円もの借金を負った。「先はない」と読んだのでしょう、杜氏は部下全員を連れて出ていった。しかし、これを逆手に取ったから、杜氏を使わないいまの生産方式が生まれます。
――旭酒造は、負けながら強くなっているのでは。失敗を重ねているのに、気がつけば存在を高めている。
【博志会長】失敗しないのは簡単なんです。チャレンジしなければいいだけ。でも、企業というのは勝ちっぱなしでは、うまくはいかないのです。同じ山口県に本社があって親交のあるファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は、「1勝9敗」と仰っている。私も勝率は高くはない(ちなみに博志会長は1950年生まれで柳井氏より2歳下)。
どうやら私たちは長州藩の流れを汲んでいて、負けながら局面を動かしていくタイプなのかもしれません(笑)。