日本メーカーはどれも負け続きだが…

〈一宏社長は言う。「ニューヨーク州に工場進出したテーマは2つ。一つは、日本の伝統産業である日本酒を世界に広げていく。もう一つは、モノづくりの進化です。日本とアメリカとで、切磋琢磨せっさたくまし合って品質をはじめ進化のスピードを上げていきたい。獺祭を超えるダッサイをつくり上げていくつもりです」

「日本ブランドとして、ソニーやホンダはあります。しかし、エルメスやグッチはない。ダッサイ・ブルーをグローバルブランドにしたい。アルコール飲料界のアップルを目指します」〉

――半導体をはじめ、リチウムイオン電池やEV(電気自動車)など、日本の先端分野のモノづくりが、負け続けています。そうしたなか、日本の伝統産業であり文化である日本酒のメーカーが、世界の飲食文化の中心であるニューヨークに出たわけです。大きな決断だったのでは。

【博志会長】私どもの酒蔵は、山口県岩国市の獺越おそごえという辺鄙な田舎にあり、地元では負け組だったのです。私は1983年に3代目社長として跡を継ぐ。安い酒を造り続けていて経営は苦しかった。

そこで、安酒づくりをやめて、90年に純米大吟醸「獺祭」を発売して、東京に出て行きます。というより、出て行かざるを得なかった。東京に出てみると、市場が大きくてシェア競争はなかった。私にとっては、世界よりも東京に出たときのほうが、遠いと感じました。

投資額は20億円予定→90億円に

――空前の円安が進むなかでの米国進出です。しかも、竣工が4年遅れた上、当初計画より投資額が大幅に膨らみました。旭酒造の売上高165億円(22年度)に対し、投資額はそれの半分以上に上ったと聞きますが、まさに社運をかけたプロジェクトです。

【博志会長】進出を最終決断したのは私です。2017年の初め頃でした。しかし、難しい現実が押し寄せます。

〈一宏社長が説明する。「ニューヨーク州の同じ地域にあっていまも提携する料理大学「カリナリー・インステチュート・オブ・アメリカ(CIA)」からオファーがあったのが2016年末。17年初めに、スーパーマーケットの跡地だった現地を視察し、すぐに会長がGOを出しました。

当初19年春には完成させ、投資額も20億円と見込みました。ところが、資材高騰や円安、排水処理規制への対応などから、工事は進まず、建設費も大幅に増えてしまい一時プロジェクトは凍結されました」〉

旭酒造のニューヨーク工場(酒蔵)
筆者撮影

【博志会長】結局、投資額は最終的に約90億円となりました。当初見込みの4倍以上に膨らんだ。

――建設が進まないとき、葛藤はなかったのですか。

【博志会長】とても悩みました。自分は撤退を決断する度胸もない経営者なのかと、自問しました。口では“やる”と言い続けましたが、社長や幹部は私の苦しい胸の内に気付いていたのでは。その頃の私は、いつもソワソワしてましたから(笑)