堪忍袋の緒が切れる
一番上の長男が小学生になるタイミングで、七瀬さん夫婦は家を建てて出ていこうとしたが、義祖父をはじめ、義家族全員が反対。
「義祖父母の娘で義父の妹である義叔母は、自分でマンションを買って一人暮らしをしていて、義妹は長男に嫁いだのに義両親とは別居で、しかも義祖父母がマンションの代金をほとんど出してくれていました。それなのに、私たちだけ反対されることに納得がいきませんでした」
義実家を壊さなければ良いのかと思った七瀬さんは、敷地内に新しく家を建てることを提案したが、やはり義祖父に、「俺の目の黒いうちはお前の自由にはさせないからな!」と言われた。
長男である夫は、義祖父母や義両親から大事に育てられたのではなかったのか。
「いえ、誰よりも大事に育てられたようです。だから洗濯や育児はしてくれても、料理はしません。できません。私がいくらお願いしても義家族たちが反対したので無理でした。男子厨房へ入らず、です。私たちの長男に対しても義家族たちは、『お前はこの家の跡取りなんだから、ご飯茶碗を流しに運ばなくて良いんだ』と教えていました。長女と次男には言わず長男だけにでした。私は長男だからやらなくて良いなんて思わないので、同じように下膳させたら、義祖父に怒られました。納得いかなかった私は、『私の子なので余計なこと言わないでください!』と思いっきり反抗しました。義祖父は昔の人なので嫁が一家の長たる自分に逆らうなんて許せないみたいですね。義祖父にはすっかり嫌われていました」
子どもたちは自分たちの部屋を欲しがり始めた。しかし義実家内には空いている部屋はあるものの、「義弟と義妹の部屋だから使ってはだめだ」と言われ続けていた。
ついに七瀬さんの堪忍袋の緒が切れた。七瀬さんは離婚届を役所でもらい、自分の名前を書いて部屋に置き、子どもたち3人を連れて、同じ町内にある自分の実家に身を寄せる。
弟は事故で亡くなり、妹は嫁いでいたため、実家は50代の両親だけだった。子どもたちを両親に預け、七瀬さんはこれから子どもたちと暮らすアパートを探し、その日のうちに契約を済ませてきた。七瀬さん27歳、長男6歳、長女5歳、次男3歳の時だった。