130年以上の歴史を持つ「修学旅行」

「修学旅行」という名称の始まりは、1886年までさかのぼる。東京高等師範学校の教頭を務めていた高嶺秀夫が初めてその名をつけたと言われている。高嶺は、軍事教育の一環として行われ始めていた「行軍」という教育活動に疑義を唱え、史跡や地形、植物・鉱物の学習など「学術研究」の側面も加えた「修学旅行」を提起し実践した。

高嶺の実践が教え子である教員たちを通じて広がっていき、19世紀後半の修学旅行は「学術研究」としての側面ももつものだった。具体的には、寺社・博覧会・建築物・工場・学校などの訪問先で、教師が主導して教科横断的に学習する機会が多く設けられていたのである。

戦後の社会復興とともに急速に復活・普及した修学旅行であるが、準備や運営にかかる教員の労働負担は非常に重いものだった。そこに商機を見いだした斡旋業者が現れ、修学旅行の性格は大きく変わっていく。入念な準備に基づいて教師の専門性を発揮するような学術研究としての側面は大きく後退したのである。

こうした歴史の中で、娯楽に傾きすぎたために「教育的意義が薄い」として修学旅行を取りやめる判断をしたり、参加を自由にしたりするところもあったことは興味深い。翻ってレジャーやアミューズメントに比重を置いた現代の修学旅行をみると、本当にその「教育的意義」はあるといえるだろうか。

「息抜き」や「思い出づくり」でいいのか

現在、中学校学習指導要領上では、修学旅行は特別活動の一環の「学校行事」の中、「旅行・集団宿泊的行事」として登場する。「平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,よりよい人間関係を築くなどの集団生活の在り方や公衆道徳などについての体験を積むことができるようにすること」がその目的である。

学習指導要領解説の表現では、長い修学旅行の歴史の中にみられた「学術研究」的側面は控えめで、「人間的な触れ合い」や「楽しい思い出をつくる」「集団生活の在り方」「よりよい人間関係」などの言葉がみられる。子どもたち自身や過去に修学旅行を経験したひとびとも、「修学」ではなく、息抜きや思い出づくりの場として修学旅行を捉えてはいないだろうか。

学習指導要領解説は、重ねて、「単なる物見遊山に終わることのない有意義な旅行・集団宿泊的行事を計画・実施するよう十分に留意」と述べている。学校や家庭、そして子どもたち自身が負担を負いながら行われている修学旅行であるからこそ、その負担に見合った教育的意義が追求される必要がある。そして、教育的意義がもはや見当たらないのであれば、大胆な見直しも必要だろう。

【関連記事】
「学校での水泳の授業は必要なのか」60年前に大量につくられたプールが老朽化で維持できない大問題
親の経済力で「放課後の過ごし方」がまるで違う…子どもの"格差"を拡大する日本の学童保育が抱える問題
「全国1位の小学生」を決めても誰も幸せにならない…「柔道の全国大会廃止」の大英断をもっと評価すべきワケ
日本の学童保育とは全然違う…フランスの学童は"朝も夕方も休日も"利用できるワケ
帰宅が遅い子供に「何時だと思ってるんだ」は三流、「黙る」は二流、では一流の伝え方とは?