まともじゃない名家
祖母が元気な頃は、祖母が家事全般と庭の手入れ、畑仕事の一部を担い、家の中も外もきちんと片付いていた。だが70歳を超え、徐々に衰え始めると、家の中はあっという間にゴミ屋敷になっていった。家では猫と犬を飼って祖母がしつけていたが、小栗さんが小学校に上がる頃には、母親がむやみに餌をやるせいか、野良猫が大量に住み着き始めていた。
「母は掃除の習慣がない上に、洗濯もめったにしないし、何でも記念に取っておくし、野良猫が多いときは20匹ほどいましたので、家の中は随分不潔だったと思います。時々入院して、病院の真っ白なシーツのベッドで眠れて、おいしそうな病院食が食べられる兄がうらやましくて、私も入院したいと本気で思っていました」
小栗さんの家では、毎日の歯磨きや入浴の習慣のみならず、毎朝の洗顔や身だしなみを整えるということがなかった。病弱な兄が風邪を引きやすいため、母親が信仰する宗教の教えに従い、縁起を担いで水を使うことを控えていたのだという。
小学校の高学年になると、小栗さんはクラスメートから影で「不潔」と言われていることに気づいていた。しかし小栗さんは、教師たちの言うことをよく聞き、成績も優秀だったため、教師たちに守られていた。
「いつも学級委員長や生徒会などの大きな役を任せられ、先生たちから人前で褒めてもらっていました。やはり、そうすると母の機嫌が良くなるので、無意識のうちに頑張っていたんだと思います。『不潔』と言われることには傷ついてはいましたが、無視できていました。でも、2人組になる時はいつもあぶれていましたし、何となく浮いている自覚はありました」
優遇されていたはずの兄でさえ、ことあるごとに「うちはおかしい。まともじゃない」と言った。
「うちは家族で旅行に行ったことも、家族で外食したこともなかったので、友達から家族だんらんの話を聞く度に驚かされましたし、友達の家に遊びに行くと、家の中のきれいさにびっくりしました。自分の家は名家だと母や祖母から毎日のように聞かされていたので、不思議でたまりませんでした」
小栗さんは家庭科の調理実習で習ったものは、必ず家で作り、家族に振る舞った。
「祖母の料理は醤油と砂糖を使った甘すぎる煮物が多く、正直おいしくなかったので、少しでもまともに暮らしたい一心でやっていました。柔らかくて辛くないものなら祖母も食べてくれましたが、家族全員がそろった状態で食べてもらえたことはなかったと思います……」