自己啓発書は「俗流若者論」か
しかし、「現代の若者は○○だ」「現代の若者は不甲斐ない」と語る議論がしばしば根拠のないものであることは、幾人もの論者が2000年代に言挙げしてきたことでした。
たとえば、若者の特性として語られたことがらには、客観的に確かめられるデータがあるのでしょうか。データがあるにしても、それは過去の若者と比較して、あるいは他国の若者と比較しても特異なものといえるのでしょうか。つまり、有史以来繰り返されてきた、年長世代による若者批判の域を超えた議論であるかどうかを、若者語りについてはまず考えないといけませんね、ということです。
また、若者の特性として指摘されたことがらはしばしばマイナス面が強調されるのですが、必ずしもマイナス面ばかりなのでしょうか。そこには新たな可能性があるかもしれません。仮にマイナス面があるとしても、若者個々人の頑張りによって払拭できるようなものなのでしょうか。できないのなら、それは単なるないものねだりのバッシングになりかねません。
私は「仲間内で群れ合う関係性」についての指摘が全て間違いだとは思いませんが、上記のような論点からよく検討されるべき論点だと考えています。そのため、「年代本」のスタートラインにおいて「現代の若者はダメだ」「仲間内で群れ合う関係性の中で埋没しているからダメだ」と簡潔に断じられてしまうと、その後の議論に私などはいまいち信頼がおけなくなってしまうのです。
さて、巷に溢れる若者論を批判する論者としては、たとえば後藤和智さんを挙げることができるでしょう。後藤さんは、『「若者論」を疑え!』(宝島社、2008)、『おまえが若者を語るな!』(角川書店、2008)などで、根拠のない「俗流若者論」を徹底的に批判されています。他にもこうした書籍は数多あります。以前紹介した浅野智彦編『検証・若者の変貌 失われた10年の後に』(勁草書房、2006)も、「俗流若者論」に対して、実証的な検討を行おうとする書籍の1つだということができます。
私自身、若者を語る言論については「○○な若者たち」というような、直接的なタイトルの書籍に注目しがちでした。しかし、「年代本」が近年多く刊行され、また多くの人に読まれていることを考えると、「年代本」で繰り返される若者論――それはしばしば、簡潔に「現代の若者は不甲斐ない」と断じることが多い――が世の中の若者観を形成している部分もあるのではないでしょうか。