200名必要なのに80名しか集まらない
図表1は「自衛隊大規模接種センター」で得た経験を最大限に活かした「自衛隊大規模接種会場」のものだ。人員と組織の構成は「自衛隊大規模接種センター」と大差はない。
自衛隊では一般的に幹部を「官」と呼ぶ、医官とは「主に防衛医大出身で医師免許を有して治療を行える幹部」であり、看護官とは「自衛隊の養成機関出身者で正看護師免許を有し、診療の介助と療養の世話を行う幹部自衛官」のことだ。
当初の計画に比して人員不足が深刻だったのが看護官であり、200名必要なところ動員可能な人数が決定的に不足していた。陸上自衛隊には約2000名の准看護師もいる。准看護師とは自衛隊札幌病院、仙台病院、阪神病院、福岡病院にある養成機関出身者で、「准看護師免許を有する技術陸曹の陸上自衛官」だ。さらに准看護師免許取得の後、選抜されて1年間、陸上自衛隊衛生学校にて教育を受け、救急救命士の資格をも取得した隊員が、約600名いる。
しかし、接種会場で動員できたのは、准看護師と救急救命士を集めた看護官等の80名だった。看護師の不足分は140名を民間から動員することになり、ワクチン接種に係る各種業務(会場設置・受付・誘導・案内等)を民間業者に委託し協力しながら、官民一体で運営を実施する体制となった。
医官の離職を招いた「行動制限」
「自衛隊大規模接種センター」は東京オリンピックを控え、デルタ株の蔓延が危惧されていた時期であり、当初3カ月の運営の予定であったが190日間まで延長された。
接種センターの運営に携わる隊員は感染予防のため、医官や看護官のような自衛隊の駐屯地や基地外に居住する幹部でも、駐屯地内での居住が求められ、居住する駐屯地と接種会場とを専用車で往復する毎日であった。こうした行動制限や運営が延期となったことが、後に幾人もの医官が離職することを招いてしまう。大規模接種は自衛官の生活面でも厳しいものだったのだ。
「自衛隊大規模接種会場」では、若年層は重症化するおそれが少ないオミクロン株の時期であり、国民のコロナ疲れも併せてか、1日あたりの接種回数は平均して20%未満となった。
東京の会場は先回と共通だったが、大阪会場は2カ所に分かれることとなり、その分、運営に必要な業務が増えたことだろう。
実際の活動はどうだったのか、防衛省が延べ人数で公表している資料から計算すると、図表2のようになる。
「自衛隊大規模接種センター」のほうは人員不足で、感染拡大を予防しながらの大規模接種を行うには、予想の2~3倍にもなる支援人員が必要となった。接種業務では看護師も2倍以上が必要となったことがわかる。