指揮官の職務放棄といえる事態

筆者が所属した陸上自衛隊では、健康管理の責任は個人及び部隊などの長、つまり本人とその指揮官にあると考えられている。陸上自衛隊服務細則156条にも「中隊長等は、直接部下の健康管理の責に任ずるものであるから、常に部下の健康状態を把握し、健康管理の施策を適切かつ具体的に実施し、これを監督しなければならない」とある。

だが、不特定多数の人間が出入りするワクチン接種の現場で隊員の接種が後回しにされたとなれば、「適切な施策」が行われたとは言い難い。自衛隊員の健康管理の責任が「個人及び各指揮官」にある以上、大規模接種センター運営開始前日のワクチン接種、ワクチン未接種のまま派遣することは職務放棄でもあった。

図表3「大規模接種センターを運営する自衛隊員の新型コロナウイルスワクチン接種状況」にあるように、ほとんどが5月23日までワクチン未接種だ。

自衛隊では医療従事者1万4000人にはファイザー製ワクチンを接種しており、医官、看護官、陸上自衛隊衛生学校職員などは2回目の接種まで完了していた。問題となったのは大多数を占める、地方から派遣されてきたワクチン未接種の隊員である。

現場で余ったワクチンをその都度接種していたのでは、副反応や宿泊している駐屯地でのクラスター発生などで「戦力外」になってしまうおそれがあるにもかかわらず、正規のワクチン接種の予定すら立っていなかったことは看過できない。

あまりに薄かった危機意識

厚労省はモデルナ製のワクチンについて、全国の自衛隊員およそ1万人に5月24日から接種を始め、健康調査を行うことを明らかにしたが、これは「自衛官がワクチン未接種」であることを内外に周知させたようなものだ。

照井資規『「自衛隊医療」現場の真実』(ワニブックス【PLUS】新書)
照井資規『「自衛隊医療」現場の真実』(ワニブックス)

国家安全保障の常識では防衛組織から優先してワクチンを接種する。副反応と戦力の調和を保ちながら迅速に行い、防衛上の隙を作らないようにする。不幸は決して単独ではやってこないものである。コロナ禍に大規模自然災害が重なることにも備えなければならないし、複合災害に見舞われた時にこそ敵は攻めてくるものだ。

海外でも軍隊が大規模接種の支援を行っているが、当然、全員がワクチン接種を完了しており安定した人的資源として派遣されている。在日米軍は軍関係者の接種をさっさと済ませ、基地内で勤務する軍属にまで広めた。仮にクラスターが発生し、米軍将兵が動けないとなれば、それはすなわち安全保障上の脅威にもなるからだ。

疫病の大流行の後に混乱と戦争勃発があることは、歴史の恐るべき証明でもある。実際に、コロナ禍中の2022年2月末にロシアによるウクライナ侵攻が勃発した。その東側の最前線は他でもない日本である。

「もしも」の時に隊内にクラスターが発生し、多くの隊員がコロナによる“戦線離脱”を余儀なくされていたら、と考えると、危機感を覚えざるを得ない。

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