そんなメルヘンが成立するわけない
もちろん、築山殿がそんなことを思った可能性が少しでもあるなら、ドラマなのだからそこを強調してもいいだろう。だが、領国の境界が常に敵の脅威にさらされ、戦わなければ侵攻され、従属する領主もすぐに離反してしまう戦国の現実下に、こんなメルヘンが成立する余地はなかった。
そもそも築山殿は、家康に対する謀反の首謀者だとされている。天正3年(1575)、家康の嫡男、松平信康の家臣たちが武田勝頼を岡崎城に迎え入れようとし、未然に発覚した大岡弥四郎事件について、平山優氏は「岡崎衆の中核と築山殿の謀議であり、築山殿の積極性が看取できるのである」と記す(『徳川家康と武田勝頼』)。
いわば築山殿は家康と家臣団にとっての敵であり、母に巻き込まれた信康ともどもかばう余地はなかった。家康が自分の意志で妻子を死なせた、というのが現在、研究者のあいだに共通した見解である。
史実と無関係の「築山殿の亡霊」
ところが脚本家は、築山殿と信康の死という悲劇を「お涙ちょうだい」の場面にするために、史実とは正反対のメルヘンを導入してしまった。そして、その後も史実と無関係の「築山殿の亡霊」に、ドラマは左右され続けている。
家康の心が「お方様がめざした世」に囚われていたなどありえない。「いまはなきあの場所」は謀略の拠点であり、家臣たちが懐かしむ場所では断じてない。
妻子の死で視聴者の涙を誘う――。それだけならいいが、そのために史実や研究者たちの見解と正反対の描き方をし、ドラマがのちのちまで史実と相いれないメルヘンに縛られ続ける。見応えがある場面も増えてきただけに残念である。