地震発生から「数分」で巨大な津波が到達
二つの地震の間には、名古屋への初の本格空襲があり、現在の名古屋ドームの場所にあった日本一の飛行機のエンジン工場が被災するなど重工業地帯が甚大な被害を受け、日本の敗戦を早めたとも言われる。2年後の1946年12月には南海トラフの西側を「昭和南海地震」が襲った。
歴史上、さらに一つ前の南海トラフ巨大地震は、江戸時代に起きた1854年12月23日の「安政東海地震」、翌日の「安政南海地震」で、その翌年に首都直下の「安政江戸地震」が起きた。さらに1856年には安政の台風、1858年にはコレラが流行し、度重なる災害が江戸幕府の終焉の引き金の一つとされている。
この巨大地震の特徴は、超広域で強い揺れとともに巨大な津波が発生し、避難を必要とする津波の到達時間が「数分」という極めて短い地域が存在することにある。先の「最終報告」は、その被害が「これまで想定されてきた地震とは全く様相が異なるものになると想定される」と位置づける。今風に言うならば、まさに「次元の異なる」「異次元」の被害が生じると予想されているのだ。
想定は死者32万人、避難者最大950万人
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震はMw9.0で、死者・行方不明者約1万9000人、建物被害(全壊)が13万棟を超えるなどの甚大な被害を及ぼした。ただ、日本列島の東から西にまたがる南海トラフでの巨大地震は、被害は10倍以上に膨れ上がると想定された。死者約32万人、建物倒壊や焼失約238万棟。浸水面積は1015平方キロで東日本大震災の約1.8倍、浸水域内の人口は約163万人で約2.6倍という計算だ。
断水などライフラインの被害で自宅に住めなくなった避難者は発災1週間後に最大約950万人に上り、およそ半数が親類、知人宅などへ避難すると想定しても、避難所への避難者は最大約500万人に達する。
公共交通機関が停止した場合、一時的にでも外出先に滞留することになる人は中京都市圏で約400万人、京阪神都市圏で約660万人に上り、徒歩で発災当日に帰宅が困難になる人(帰宅困難者)は中京圏で約100万~110万人、京阪神圏で約220万~270万人に上るとされる。