なぜ人間は体毛が乏しいのか。生物学者の池田清彦さんは「多くの陸上動物は体温調節のために毛深くなったのに、ヒトだけははだかのまま進化してきた。この事実は、『生物は環境に適応するように進化する』というネオダーウィニズムの考え方では説明できない」という――。

※本稿は、池田清彦『驚きの「リアル進化論」』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

原始的な人類から現代人へ
写真=iStock.com/Pict Rider
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いま生き残っている生物は環境に適応している?

ネオダーウィニズム(※)の理論は必ずしも間違ってはいませんし、ある側面においては非常に整合的です。

※進化はすべて「遺伝子の突然変異」と「自然選択」と「遺伝的浮動」で説明できるという考え方

ただ、読みようによっては、進化の目的が「適応」であるかのようにも受け取れます。

そのせいで多くのネオダーウィニストたちは、「現在見られる生物の形質や行動はおおよそ現在の環境に適応しているはずで、もしも不適応なものがあったとしても、比較的近い過去には適応していたに違いない」と話を飛躍させ、「生き残っているという事実が現在の環境(あるいは近い過去の環境)に適応していることの証しである」と暗黙裡に決めつけてしまっているのです。

けれども実際には、すべての生物の形質にこれが当てはまるわけではありません。

例えば、ヒトはヒトになってから(少なくともホモ・サピエンスになってから)、基本的にはずっと「はだか」だと考えられます。もちろん、毛が全くないわけではありませんが、ほかの多くの動物と比較して考えれば「ヒトははだかである」と表現しても特に問題はないでしょう。

はだかより毛で覆われているほうが有利

陸上動物がはだかでいると、外の刺激にもろにさらされるので、生命維持に欠かせない体温調節にも大きな困難を伴います。人間の場合はたまたまほかの動物よりも知恵があるので、「服を着る」という手段で補っていますが、はだかという形質自体は、決して適応的ではないのです。

もしも、「環境に適応するように進化する」のが本当ならば、どこかのタイミングで突然変異によってほかのヒトよりも少し毛が多いヒトが生まれ、そういうヒトは生きるのに有利ですから、自然選択によってオリジナルのヒト、すなわちはだかのヒトは徐々に淘汰とうたされていくはずです。だから、体を覆う毛が多いヒトが選択されていって(生き延びていって)、徐々に「毛で覆われたヒト」へと進化していった、というストーリーでないと辻褄が合いません。

いくら進化がゆっくり進むとしても、ヒト(二足歩行のヒト科の動物)が生まれてから(チンパンジーと分岐してから)もう700万年くらいはたっているのですから、そういう方向に進化するだけの時間は十分あったはずです。しかも、ヒトは1万数千年前の氷河期を見事に生き抜いているのです。