南太平洋のイースター島には高さ21メートル以上、重さ約90トンというモアイが立ち並んでいる。いったい誰が巨大な石像を作ったのか。そして石像を作った人たちはどこへ消えたのか。イギリス人ジャーナリストのトム・フィリップスさんの著書『メガトン級「大失敗」の世界史』(訳:禰冝田亜希、河出文庫)より紹介する――。
イースター島にあるモアイ
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なぜ太平洋の絶海に巨大な石像があるのか

ヨーロッパ人が1722年に初めてイースター島に上陸したとき(オランダの冒険隊は未発見の大陸を探していた。そんなものはなかったのに愚かである)、そこで目にしたものにびっくり仰天した。高さは21メートル以上、重さは約90トンもあるかという巨大な石像が、絶海の小さな孤島のあちこちに立っていたからだ。

現代の技術力もなければ、木が1本もないポリネシアのこの島に、いったいぜんたい、どうしてこんなものがあるのか? ごたぶんにもれず、オランダの船乗りたちの好奇心はそう長くはもたなかった。つまり、さっそくヨーロッパ人におなじみのことをし始めた。はっきり言うと、誤解続きのやりとりのあげく大勢の地元民を撃ち殺した。

続く数十年で、さらに多くのヨーロッパ人がこの島にやってきた。そして、もっぱら彼らが「発見した」ばかりの地でやりがちな定番のふるまいをした。たとえば死にいたる病気をもたらすとか、地元民をさらって奴隷にするとか、上から目線でいばりちらすとかだ。

ポリネシアは世界屈指の文明を誇っていた

続く何世紀かにわたって、白人たちは謎の石像がなぜ「未開人」しかいない島にあるのかといぶかって、奇想天外な説を山ほど思いついた。はるか遠くの大陸からはるばる海を越えてきたとか、きっと宇宙人のしわざに違いないとか。まさか非白人がつくったとは思いもつかないしろものを、いったいどうやって非白人がつくったのか。

この難問に対する答えとして、宇宙人説がきわめて理にかなっていたことは言うまでもない。実際に宇宙人説は大人気だった。しかし答えは明白だろう。ポリネシア人たちがそこに置いたのだ。

ポリネシアが世界でも屈指の文明を誇っていたとき、ポリネシア人たちは、この島、現地の呼び名ではラパ・ヌイに初めてやってきた。バイキングの小集団をのぞいて、ヨーロッパ人たちがまだ自分たちの裏庭から出てもいなかったころ、何千キロも海を渡って探検し、島々に住み着いたのである。