資源をめぐる争い

そして、しくじった。というのは、立派な家としっかりとしたカヌーの維持、そして、石像を運ぶインフラの整備を怠ったからである。

片っぱしから森林を伐採しつくし、木を切り倒したら、もう代わりが生えてこないと気づきもしなかった。そして突然、1本たりともなくなった。これぞまさしく共有地の悲劇である。

どんなに木を切り倒しても、誰にもこの問題に責任はなかったが、それはもう手遅れだというときがくるまでの話である。そうなってしまったら、皆の責任だ。

共有地の悲劇はラパ・ヌイの社会をうちのめした。木がないことにはカヌーがつくれなくて、遠洋の漁はできなくなった。根っこがなくなり、守られていない土は風雨にやられ、痩せこけた。

このせいで何度も地すべりが起こって、村々はつぶれてしまった。寒い冬には暖をとるため、残り少ない草木を焚き火にしないといけなかった。そして、事態はもっとまずくなった。乏しくなるいっぽうの資源をめぐって、集団間での争いが激化した。結局のところ、このことが惨事を招いたようである。

最後に作られたモアイが意味すること

妙なようだが、絶体絶命の状況での人々のふるまいを考えてみれば、何の不思議もない。そんなときこそ、いっそう地位を高め、やる気を振りしぼりたくなるのが人間だ。そして、ひどいヘマなど犯さなかったと自らに言い聞かせ、ひどいヘマなど犯してないよなと同意してもらいたくてたまらなくなる。

あろうことか、彼らは資源の奪い合いをやめなかった。それどころか、いっそう激しく争った。つまりラパ・ヌイの人々は、これまでよりはるかに大きい石の頭をつくることに没頭したのだ。どうしてかというと……人間は直面している問題をどう解決したらいいかわからなくて苦にしているとき、往々にしてそうするものだからである。

島で彫られた最後の石像は、石切り場でつくられてさえいない。いくつもの石像が道のかたわらにばたばたと倒れていた。目的地に運べないうちに、計画が全部台なしになってしまったのだ。