評定平均が2.5しかなくても合格

多くの受験生が落とされる狭き門である1次試験とは対照的に、2次試験は受けることさえできれば多くの人が合格できるようです。もちろん落ちる可能性はゼロではなかったものの、やはりここでも「自分なら大丈夫だ」という自信のもとで乗り切ったんだとか。

しかし、落ちてしまったらどうなるのか、という心配はなかったのでしょうか?

「もちろん、落ちたらどうしようという不安はありました。私は高3のときに偏差値35しかありませんでしたし、評定平均だってとても低かった。私の学校から推薦で合格した先輩たちは、みんな評定平均4.5くらいあったんですが、私はその半分くらいしかありませんでした。ですから、前例もなく不安だったのは確かです。周りからもまったく期待されていませんでしたし。

ですが、期待されていないというのは悪いことばかりではありません。逆に、期待されていなかったからこそプレッシャーがなく受験できたという利点もありました。私の場合、『受かるでしょ』って思われてる方が重荷に感じていたと思います」

誰にも期待されていなかったからこそ、逆にノープレッシャーで受験に臨むことができたという河上さん。不安もあったようですが、もともと自信家な性格が幸いして、うまく受験戦争を勝ち抜くことができたようでした。では、河上さんはどのような受験生活を送っていたのでしょうか?

試験で一番つらかったこと

「私の父母は、私の成績が悪いことを知っていたので、受験をほぼ諦めていました。先生からも志望校のレベルを下げた方がいいって言われていましたし……。それに友達もAO推薦で受ける人が多かったので、ライバル関係にありました。ですから、応援してくれるような人はあまりいませんでしたね。私が『受かるかも!』という段階まで来たら応援してくれたんですが(笑)」

面接を受ける女子高校生
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成績がもともと悪かったことから、多くの信任を受けられなかったという河上さん。合格が目前になってから応援が得られるようになったというエピソードは、周囲の現金さ加減に少しクスっと笑えますね。しかし、一筋縄ではいかないのが受験戦争。つらかった思い出はないのでしょうか。

「一番つらかったのは、最初に受験した大学の試験でした。いまでもしっかり覚えているのですが、教授の虫の居所が悪かったのか、圧迫面接を受けてしまって……『なんでうちに来たの? 他のところでもよかったんじゃないの?』って意地悪なことをたくさん聞かれて、すごくへこみました。次の日が本命の受験だったのですが、その日は泊まっていたホテルで大号泣してしまいました……」