平日は主に仕事で、会社や同僚、取引先といった他者のニーズに応え、休日は家族や恋人、友人といった他者のニーズに応える。そのような状態が続いているせいで、自分のニーズに応え、自分の心と身体の疲れを回復させるために時間を使うことができない。

こうした状態がまさに「過剰適応」です。

たとえるなら、砂漠にいて脱水しかけているのに、自分の分の飲み水を一切口にせずに他人にばかりあげているようなものです。そのような状態が続けば、人は必ず心身の調子を崩すようにできているのです。

メンタル不調に陥りやすい人の“思い込み”

私のクリニックに相談に来られる方の中には、休むという選択をとることができず、限界に達するまで心身の疲れをためてしまった人もたくさんいました。

「あまりに忙しくて、とても休める状態じゃなかった」
「上司に、休むことを認めてもらえなかった」
「職場の雰囲気的に、休みをとりづらかった」

といった理由で休みをとれなかったというケースももちろんありましたが、それ以上に多かったのが、

「他者から期待されている」という思い
「自分がやらなければならない」という思い
「働いていない自分はダメだ」「人の役に立っていない自分はダメだ」という思い

など、「休みをとる自分を責めたり否定したりする気持ち」があるために、休むことができなかったというケースです。

カウンセリング
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特に真面目な人ほど、他者のニーズを満たすことを優先させ、自分のケアを後回しにする傾向があります。それどころか、そもそも自分のニーズに目を向けることすらしない人も少なくありません。

そもそも労働とは、基本的に他人のニーズに応えることで価値を提供し、その対価としてお金をいただく、ということです。

与えられた社会的な役割を果たしていれば、居場所を得たり、生活を維持することはできます。しかし、そればかりだと、次第に「自分のニーズ」というものがわからなくなってきます。

「職場」というのは、人間関係にまつわる情報がとりわけ多い場所で、自分に合わないことや傷つくこと(デイリーハッスルズ)があっても、すべてに対処できませんし、そんな時間もなかなかとれません。

心をすり減らす環境に「感情が動かなくなる」ことで適応する

職場だけではありませんが、そのように傷つきの多い環境にいるとき、人はどうなっていくでしょうか。

次第に感情が動かなくなり、生活に生き生きとした現実味がなくなっていきます。あたかも脳に麻酔をかけるように、あらゆる痛みに鈍感になっていくのです。

これは生物が古来より身につけている、逆境に適応するために苦痛をやり過ごしていくためのすべで、このような適応を「解離」といいます。実際に、脳の機能の一部が低下し、「私がいま、ここにいる」という感覚がぼやけ、心が麻痺し、自分と世界の間にうすく膜を張ったような感じになります。