自分より、他者のニーズを優先させるから疲弊する

過剰適応とは、周りの環境に配慮し、他者に調和することを重視しすぎて常に気を張っている状態で、精神的にとても消耗しやすいのです。端的にいえば、「自らのニーズよりも、他者のニーズを満たすことを重視しすぎて疲弊していること」です。

「他者のニーズを満たす」というのは、親や教師、パートナー、友人、上司、部下など、周りの人や所属している組織、社会などから「こうしてほしい」と求められたこと、「このように生き、行動することが正解だ」とされていることを受け入れ、実行することです。

一方で、自分のニーズを満たすというのは、「これをしたい」「このように生き、行動したい」といった、自分の中にある欲求を知り、実行することです。

私たちは、他者や社会と関わらずに生きていくことはできません。社会的な関わりが欠如すると、不安は増し、心身の健康は失われます。また、社会的に排除され、自ら望まない孤独にさいなまれることは、人間の生命にとって破壊的なダメージを与えます。

共同体的なライフスタイルがどんどん解体に向かう現代において、孤独とは人類にとって立ち向かうべきもっとも大きな「敵」の一つかもしれません。

遠慮や罪悪感を生み出す「過剰適応」

孤独を避けるという目的ではなくても、私たちが「社会の中で、より良い自分でいたい」という願いを持つことは自然なことです。ですから、社会で他者と共生している以上、ある程度他者のニーズを満たすことは必要不可欠なことだといえるでしょう。

まわりの人たちが求めていることを察知し、応えていくことで対外的な評価は高まりますし、人間関係における摩擦まさつが生じるのを軽減し、安全を高めてくれます。誰かの役に立てることは、人生の生きがいや豊かさの源泉になりうるものです。

ただ、残念なことに、社会は私たちにとって必ずしも安全・安心な場所であるとは限りません。守られるべき自分の領域を侵害(ラインオーバー)され、他者のニーズによって一方的に振り回されること、傷つけられること、理不尽な要求をされることがしばしばあります。

あるいは逆に、他者への貢献に依存するかのように、自らの責任範囲を超えてまで他者の役に立とうとする人も決して少なくありません。そのような人にとって、自らのために「休むこと」は困難を極めることでしょう。

周囲の期待、同僚の目線を気にしてはいけない

たとえば、みなさんの中に、次のような経験をしたことのある人はいませんか?

「周りの人からの期待に応えなければという気持ちが強く、自分の限界を超えて頑張ってしまうことがしばしばある」

「本当は休みをとりたいけれど、同僚の目が気になって休みがとりづらい」

「評価が下がるかもしれないといった不安や休むことに対する罪悪感があって、せっかく休みをとっても気持ちが落ち着かない」

「休みの日も、つい仕事のことを考えてしまう。あるいは、疲れていても、家族のために尽くさなければと思ったり、友人からの誘いに応じたりしてしまう」