「東北と関東・関西で選手のポテンシャルに差はない」

佐々木は「岩手から日本一」という目標を心の中に秘めていた。

横浜隼人のコーチを務めた最後の年、1998(平成10)年は、松坂大輔(元・レッドソックスほか)がエースの横浜高(神奈川)が高校球界を席巻していた。間近でそのすごさを体感した佐々木は、「あんなレベルの高い選手がたくさんいるなんて、神奈川と岩手は違うな」と感じた。

だが、帰郷して岩手の高校野球や中学野球をあらためて見ると「選手のポテンシャルはそれほど変わらないのでは?」と感じるようになった。もともと自身の目標設定により、「28歳で甲子園出場」、具体的な年齢は明かさなかったが「40歳前で全国制覇」という目標は定めていた。そこに岩手の選手たちで、という夢がプラスされたのは、そんな感触を得たからである。ただ、野球部の「再建」を始めた当初、藤原たちの時代はまだ「日本一」は、遙か遠い先にある目標だった。

「のちのち日本一を目指す、という空気も出てきたのでしょうが、自分たちのときは監督も口にはしていなかったと思います。甲子園だって……僕自身は普通に出られると考えられるようになりましたけど、チーム全体としては、意識改革はしたけど本当に甲子園に出られるのか疑問は残っていた。今、思えば、だから結局、甲子園には出られなかったんでしょうね」

藤原たちの最後の夏は、岩手大会準決勝で福岡に延長10回、2対3で敗戦した。県内有数の速球派左腕となっていた藤原は、卒業後、社会人野球の強豪であるJFE東日本へと進みプロを目指すも叶わず3年で選手を引退。しかし、その後はマネジャーを11年務めるなどチームに欠かせない人材となった。

その経験を買われ、2018(平成30)年からは新たに結成された社会人野球チーム・エイジェックのマネジャーにヘッドハンティングされ、後に都市対抗に初出場するチームの土台固めに貢献。プレー以外の部分でも高く評価された野球人といえよう。

「そうですかね。まあ、高校時代にコミュニケーション能力も成長しましたから」

変えるべきは心

佐々木はミーティングも重視していたが、その場で自身が一方的に話すのではなく、選手にも発言を求めた。

田澤健一郎『104度目の正直』(KADOKAWA)
田澤健一郎『104度目の正直 甲子園優勝旗はいかにして白河の関を越えたか』(KADOKAWA)

「ミーティングでは思っていることをはっきり言わなければならない場面が多かったです。どうしたら勝てるか、チーム全体で目指すところを一つにするには、とか。監督はレギュラーと控えで温度差が出ないよう心がけているように感じました。試合後のバス移動中もその日の反省点を1人ずつ発言したり。人前で話すことには慣れていったと思います」

東北高、仙台育英で監督を務めた竹田利秋が、選手たちに意見の表明を求めたことは第2章で触れた。第5章では楽天シニアの選手たちが堂々と自分の意見を述べることを促されていたことがわかった。いずれも「自分から前に出ていかない」「おとなしい」といわれ続けてきた東北の選手の意識改革のためと思われる。ポテンシャルは関東や関西の選手とも変わらないのであれば、変えるべきは心――。佐々木もそんなふうに考えていたのだろうか。

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