「チワッ!」「チィース!」のような挨拶は禁止
そして、何よりも厳しく変わったのが日常生活や精神面の指導だった。
「『他の生徒の見本になりなさい』とよく言われました。それまでの『チワッ!』とか『チィース!』みたいな挨拶は禁止。きちんと立ち止まり『おはようございます』『こんにちは』とはっきり挨拶するようにと指導されました。あと『野球は助けてくれないよ』とも言われましたね。野球が終わってからの方が人生は長い。一般社会に出たら野球をやっていたとか関係なくなって、野球が自分を助けてくれなくなるから、人としてしっかり生きていけるようになりなさい、と。それまでは野球だけやっていればいい、みたいな雰囲気でしたけど」
空気も取り組みも一変した野球部。佐々木は改革を進める一方、選手たちにも妥協を許さず、気の緩みが見えると厳しく指導した。
「本当に厳しかったです。カバーリング一つとっても、全力疾走を少しでも怠るとめちゃくちゃ怒られる。ノックでも元気がないと途中でやめて帰ってしまったり。監督もまだ20代でしたし、今はそんなことしないでしょうけど。当時はほぼ1人で練習を見ているような状態でしたね」
やらされる野球から自ら取り組む野球へ
日々がキツく厳しくなったが、藤原は不思議と嫌な気持ちにはならなかったという。
「前はやらされている感じだったのが、目標設定によって自ら取り組む野球に変わったからですかね? 目指すところがはっきりしたというか。前の監督のときは先輩が監督への不満をけっこう口にしていましたが、佐々木監督になってからは厳しいけど、あまり不満の声はなかった。野球ノートのやりとりで監督ともコミュニケーションを密にとれるようになったのがよかったのかもしれません」
ただ、だからといって急激に結果が出るわけでもない。夏休みの練習試合は、当時の状況から相手が強豪校ばかりというわけでもないのに勝ったり負けたり。近所の普通の公立校に負けることもあった。
「毎日が必死だったので、強くなっているのかなんて、気にする余裕もなかったですけど(笑)」
ところが、佐々木の就任後、初めてとなる公式戦・秋季岩手県大会で、藤原を驚かす結果が出る。なんと準優勝してしまったのだ。
「自分たちでも要因はよくわかりません。ただ、セーフティスクイズやディレードスチール、細かなカバーリングなどは、当時、岩手の他校ではやっていませんでしたから、効果を発揮した場面もあったし、それが自信につながっていたかも。ただ、この結果で『あれ、オレたちけっこうやれるのかな?』という気持ちにはなれましたね」
東北大会は初戦敗退だったが、チームには朧気ながら「甲子園」の姿が見え始めていた。