恋愛や結婚はあらゆる面で不利益が大きい
現代の妙齢男性にとって現在の恋愛や結婚は、客観的に見れば社会的にも経済的にも行政的にも司法的にもあらゆる面で不利益が大きく、その種々の不利益を甘受してでも「子供をつくりたい」と願う人でもなければあえて選ぶべきオプションでもなくなっている。
いま世の中が「望ましくないかかわりは加害であり、場合によっては犯罪だ」とかといった論調の盛り上がりを見せているが、それを妙齢男性が真に受けて異性関係構築を自粛すれば、たしかに道徳的で人権感覚にフィットした立派な人間と見なされるかもしれない。だがそれはいうなれば「倫理的な自死」とでもいうべき代物だ。健康のためなら死んでもいい、というのは本末転倒だが、しかし現代人はまさしく死よりも不健康を恐れている。
「不道徳な存続」か「倫理的な滅亡」か
いずれにしても、現代の若い男たちは「倫理的」であることを尊び恋愛や結婚から退場して自らを“末代”とするか、あるいは「不道徳」な人間としてのリスクを負いながらでも、それでも異性との関係を求めるのか、厳しい二択を選ばされる時代にあることはたしかだ。
不道徳な道を選ぶことはつらいが、かといって倫理的な道が容易いかというとそうではない。生物として深い部分に刻み付けられた「子孫を残したい」という命令に逆らうことは並大抵ではない。一時的な思想の流行があったからといって、この生物の根源的な欲求を完全に克服できるとはかぎらない。自分自身の末代を確定させ、遺伝的に滅亡を決定づけるような営為は、生物としての本能に著しく反しており、それが時として人間の正気を失わせることもある。
いまは「恋愛や結婚なんてコスパ悪いからやらなくて正解。その証拠に自分はこんなに快適に暮らしているのだから」と思えたとしても、その信念が40代や50代でも揺るがないという保証はどこにもない。事実として、そうした生き方を2000年代に称賛され、それからおよそ20年後の現在、再生産年齢を終える40代にさしかかり「こんなはずじゃなかった」「寂しくてつらい」「なんのために生きているのかわからない」と悲鳴をあげる人びとがSNSでも続々と観測されている。
いずれにしても、現代の対人関係の道徳的規範のアップデートによって「恋愛の有害性」が相対的に上昇し、それに耐えられない人が若年層を中心として続々と増えていること――それこそが、「恋愛離れ」の深層である。
それは、私たちが次世代に命をつなぐことよりも、自分が倫理的であることの方が大切であるという身もふたもない結論を暗に出しているということでもある。