各事業に必須の要素技術一つ一つについて、まず技術者が何人必要かを設定し、その通り補充する。例えばある技術について、100点満点で75点の水準にある人が10人必要と判断したとすると、上から指名されたり、希望した者が試験を受け、75点に達した者を割り振って10人にする。どうしても足りないところにだけ派遣社員を補充する。

明星電気相談役
上澤信彦 
「コミュニケーションは双方向」をはじめとした6カ条の“心得”を全社員に暗記させた上澤氏。傍らには、長年にわたる現場の実践ノウハウを積み上げた「会 社をよみがえらせる100の方法」なる分厚いファイルが。「実際にやってみて、よかったと思ったものだけを使っています」。

「形は学べるようになったので、魂が伝わるよう、ベテランには過去の経験を若手に話すことをテーマとしてやらせています」(柴田氏)

優秀な大学生・大学院生の確保にも、同社は知恵を絞っている。もともと「宇宙・気象をやりたい」と熱望して入社する学生・院生が多い同社だが、大手と張り合うにはそれだけでは足りない。

やり方はこうだ。優秀な社員を確保し、自社製品を商品化したい明星側と、論文を書きたい大学教授。大手電機は大学教授に好き勝手な研究などさせないが、明星はOK。そこで、教授は教え子に就職先として明星を紹介し、教え子とともに製品の商品化に協力しつつ論文を書く。

「日頃から、いろんな大学の教授とコンタクトを取っています。『一緒に世界一の商品と論文を出したいね』と言えば、教授は『じゃ、ウチはこの院生を出します』。で、採用が決まる。こういう人たちが来てくれるようになったおかげで、実績が出ています」(上澤氏)

会社そのものが危うかった06年には年に1人だけだった新規採用はここ数年、「はやぶさ」や「かぐや」の効果もあって、2桁に達するようになった。

弱小国さながらに、様々な知恵をひねり出す明星電気。しかし、こうした宇宙や気象といった「趣味のような事業」(柴田氏)を継続できた背景には、長い間、固定電話事業で稼いだ分の余力があったことがやはり大きかった。

しかし言うまでもなく、時代は大きく変わった。NTT民営化、バブル崩壊後の民間設備投資の減少、さらに携帯電話の登場によって、同社の固定電話事業が圧迫された。90年代は業績悪化の一途で、リストラも余儀なくされた。

それでもなお固定電話のしがらみを断ち切れず、ずるずると後退。05年7月に産業活力再生特別措置法(産業再生法)に基づく事業再構築計画が経産省に認定され、それ以降は第三者割当などによって筆頭株主となった投資ファンドの下で経営再建が進められた。

※すべて雑誌掲載当時

(石橋素幸=撮影 JAXA・池下章裕/PANA=写真)
【関連記事】
なぜ日本HPは中国から東京に工場を移したか
快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力【1】
初音ミクに世界中のファンがつく理由
製造業本社の「海外大移動」が始まった【1】
革新を生み続けるダイソンの「すごい人員構成」