柴田氏自身は東北大学の大学院で地球電磁気学を専攻。87年に入社してすぐ、地雷探知機の開発に回された。

図を拡大
売上高の推移/累積損失一掃までの推移

「この担当を15年以上。全国の自衛隊の試験場にたくさん行きました。そこで穴掘って、埋めて、検査して、穴掘って、埋めて、検査して……。ある演習場で、『柴田さん、今年もいらしたんですか。地味な仕事ですね』と自衛隊員に言われて、『いやもう、すみません』と……」

ノイズ発生器と叱られ、重すぎて扱えないと怒られ、自衛官から「1日1グラムずつ減らせば、100日で100グラム減らせる」と無茶を言われたり、「貴様、振ってみろ」と言われた同社の検査員が、競合他社に負けじと、腕の筋肉痛に耐えつつ試作機を振り続けたこともあった。

そんな苦労を重ねながら生み出された89式地雷原探知機セットは、自衛隊のカンボジアPKOなどで活躍。「ささやかながら、貢献できてよかった」(同)。

同社は、技術的には凄いものを持っている、と上澤氏は断言する。

「宇宙関連で小型・軽量の製品は明星しか勝てないと思う。超小型衛星だって、産業用電機の大手さんは、あんなに小さいのはやらない。10年前に大手カメラメーカーが『とても無理だ』と言ってた『かぐや』搭載のハイビジョンカメラも、ウチが『できます!』と手を挙げ、09年にようやく日の目を見た」

通信機器や気象、自衛隊の特機関係では、大手が渋りがちな土・日のメンテナンスも積極的にこなす。台風や災害で壊れた同社製品については、すぐさま飛んでいって観測可能とする暫定処理を行う。

「自衛隊の方に、『そこまでやってくれるから、明星さんは小さいけれど大事にしています』と言われた。これが明星の強さだと思っています」

この技術をどう伝承するか。業績不振期に技術の伝承が途絶えつつあったという危機感から、同社は「明星エンジニアカレッジ」を創設した。学長は柴田氏だ。

「120人の技術者全員に、上流の設計から下流の電気施工まで約20あるカリキュラムすべての試験を受けさせて、トップの成績を取った者が教授になり、若手を指導しています」(上澤氏)