難民の受け入れのハードルを下げてはいけない
フランス社会にとって移民は必要なものである。伝統的にアパートのコンシェルジュ(管理人)はポルトガル人、炭坑夫は第一次世界大戦での戦死者の穴を埋めるためにウクライナ人が多かった。フランス人でなり手が少ない職業を埋めている。
そのため、政府は移民がフランス社会に同化するよう色々と手を尽くしているのだが、うまくいっていないことは今回の暴動からも明らかだ。彼らの経済状況を改善することは容易でない。
当然、移民間の競争もある。EUの拡大は東欧からの白人労働者の供給を増加させたし、ウクライナ戦争で多くのウクライナ女性が避難してきて大歓迎されている。戦争が終わったらウクライナ男性が追っかけて流入することが予想されている。
私は、ヨーロッパは難民に甘すぎたと思う。冷戦時代、東欧から難民を受け入れたことは、ソ連・東欧の若い労働力を失わせることになり、体制崩壊に手を貸した。
しかし、現代のように経済的困窮者とか、政治的弾圧を受けているというだけで中東やアフリカから受け入れては、本国で体制変革を求めて戦う人材、経済維持のための人材が不足して、本国はいつまでたっても遅れたままになる。しかも受け入れ国の治安悪化や経済的負担も顕在化している。
レバノンなどフランスに逃げ出しすぎて、本国には有能な人材がいなくなった(カルロス・ゴーンは日本から逃げ帰ってきたが)。
移民・難民への甘さがいかにヨーロッパのアキレス腱になったのかは、『民族と国家の5000年史 文明の盛衰と戦略的思考がわかる』(扶桑社)で論じている。
日本は移民をどうやって受け入れるべきか
日本も少子化対策だけでは人口減を穴埋めできないから、移民や外国人労働者を必要としている。その際は、必要な人材を選別的に受け入れるべきだし、特定の国民による治外法権的な地域が生じないようにすべきだ。特定の国から過度に受け入れるべきでもない。
イスラム教の後進性に甘くなるべきでもない。リベラル系の人はLGBTを過激なほど擁護するが、LGBTに厳し過ぎるイスラムへの批判は生ぬるい。多様性の尊重と言うが、実態は、移民が政治勢力としてリベラル・左派系支持であることが多いから甘いだけだ。
今回のフランスの暴動は沈静化しつつあるが、注目すべきは極右といわれるマリーヌ・ルペンへの支持が伸びていることだ。2027年大統領選に向けてエドゥアール・フィリップ元首相と互角の戦いを展開しているという(フランス大統領は連続2期までと制限があり、マクロン大統領は出馬できない)。
フランスでもドイツでも、極右政党を連立相手として排除しているので、極右政党に投票している約2割もの国民が政治から排除され、政治が国民の平均的意向より左寄りになることが常態化している。
日本では、保守派の安倍元首相が中道派と妥協しながら政治をするというマジックで極右の牙を抜いていた。フランスやドイツなどはこうした「安倍流」を参考にしながら、中道右派政党が移民問題などで保守的主張に耳を傾けることが、極右を抑え込むために必要なのでないか。